スローターハウス5または子供十字軍死との義務的ダンス*カート・ヴォネガット・ジュニアドイツ系アメリカ人四世でありいまケープ・コッドにおいて(タバコの吸いすぎを気にしつつも)安逸な生活を営むこの者遠いむかし武装を解かれたアメリカ軍歩兵隊斥候すなわち捕虜としてドイツ国はドレスデン市「エルベ河畔のフローレンス」の焼夷弾爆撃を体験し生きながらえて,この物語をかたる。これは空飛ぶ円盤の故郷トラルファマドール星に伝わる電報文的分裂症的物語形式を模して綴られた小説である。ピース。
ストーリーはあらゆる時代や場所を無尽に行き来する。そのため俺は、続きを読み始めようとするたびに、(しおりはきちんと挟んであるのだが)前回どこまで読んだのかわからなくなって、ページを遡って読み直すということをしなくてはならなかった。なにしろ小説内の時間が一定方向じゃないのだ。現在から過去、過去から現在、そしてまた現在から過去・・・。読了までにこれくらい時間がかかった作品は久々である。文章は平易であるのに、読み終わったあと前半を思い出すのに苦労した。
またこの作品は、それまでのヴォネガット作品群の集大成的なもので、ローズウォーター、キルゴア・トラウト(架空のSF作家)、キャンベル、ラムファード、トラルファマドール星人などなど、おなじみの名前がずらりと登場する。ヴォネガットの一つの頂点とも言えるかもしれない。もちろんヴォネガットはこの『スローターハウス5』以降も書き続け、遺作『国のない男』(エッセイ、2005)を刊行ののち2007年4月22日永眠した。
読んでて「あれっ?」と思ったところがある。主人公ビリーの生活信条として額に入れてオフィスの壁に飾られているという祈りの言葉である。これは終盤にも別の形で登場する文句である。
神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと変えることのできる物事を変える勇気とその違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ
読んでるうちに、俺の頭にあるメロディが浮かんだのだ。それは宇多田ヒカル「Wait&See ~リスク~」だった。
変えられないものを受け入れる力そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ
これは偶然にしては似すぎている。宇多田ヒカルも『スローターハウス5』を読んだのかなー、なんて思いながら読んだ。それであとでこの祈りの文句について調べてみると、これは「ニーバーの祈り(The Serenity Prayer)」としてアメリカで知られているものなんだそうだ。第二次世界大戦の兵士に配ったり、戦後はアルコール依存症患者の断酒会のモットーにもなっているらしい。他にも映画の中で使われることも少なくないらしい。知らなかった。
あとトラルファマドール星人の考え方についての一節も印象に残った。
「われわれは宇宙がどのように滅びるか知っている――」と、案内係はいった、「これには地球は何の関わりあいもないんだ、地球もいっしょに消滅するという点を除けばね」「いったい――いったい宇宙はどんなふうに滅びるのですか?」「われわれが吹きとばしてしまうんだ――空飛ぶ円盤の新しい燃料の実験をしているときに。トラルファマドール星人のテスト・パイロットが始動ボタンを押したとたん、全宇宙が消えてしまうんだ」そういうものだ。「それを知っていて」と、ビリーはいった。「くいとめる方法は何もないのですか? パイロットにボタンを押させないようにすることはできないのですか?」「彼は常にそれを押してきた、そして押しつづけるのだ。われわれは常に押させてきたし、押させつづけるのだ。時間はそのような構造になっているんだよ」「すると――」ビリーは途方にくれていった、「地球上の戦争をくいとめる考えも、バカだということになる」「もちろん」「しかし、あなたたちの星は平和ではありませんか」「今日は平和だ。ほかの日には、きみが見たり読んだりした戦争に負けないくらいおそろしい戦争がある。それをどうこうすることは、われわれにはできない。ただ見ないようにするだけだ。無視するのだ。楽しい瞬間をながめながら、われわれは永遠をついやす――ちょうど今日この動物園のように。これをすてきな瞬間だと思わないかね?」「思います」「それだけは、努力すれば地球人にもできるようになるかもしれない。いやな時は無視し、楽しい時に心を集中するのだ」「ウム」と、ビリー・ピルグリムはいった。
ちょっと引用が長くなったけど、この部分は作品の中でかなり重要なところだと思う。トラルファマドール星人はすべての時間に存在できる。『タイタンの妖女』のラムファードがすべての場所に存在できるようになったようにである。まあSF的だといって片付けることもできるけど、人間の人生にもいろんな場面――いやな時、楽しい時――があり、楽しい時だけに心を集中できるようになれば、それは「すてき」じゃないだろうか?
余談だが、この作品は1972年に映画化されている。劇中音楽として使用されているのは、グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲だそうだ。このブログの読者なら、ビックリマークが出たことだろう。俺もこの記事を書くために調べて知って「!」ってなった。
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