2009年6月7日

1Q84: ディスレクシア、口承文学

ふかえりはディスレクシア(読字障害)を持っている。Book 1のP.181にあるように、アインシュタインやエジソンらもそうだった。調べてみるとわかるけど、ディスレクシアを公にしている著名人はけっこういる。

それはそれとして。

『1Q84』を既に読んだ人は字が読める人でしょう。(誰かに読み聞かせてもらった人以外は)

ふかえりが『平家物語』をそらんじるくだり(Book 1, P.455)はさ、(古典を忘れかけている)多くの読者に軽いディスレクシアを体験させる仕掛けかもしれない。でも、ふかえりがバッハのBWV244(『マタイ受難曲』)をそらんじるくだり(Book 1, P.369)はちょっと違う気がする。ドイツ語を忘れかけている読者って少ないだろうから。ただ、バッハの場合は、それが「歌」であるから、歌詞は理解できなくてもメロディがくっついてくることになる。そうなると、大事なのは字面なんかじゃなくて、メロディだということになる。もっと突っ込むと音韻、言葉の響きということだ。これを『平家物語』の方に適用させると、古かろうが新しかろうが、日本語だろうがドイツ語だろうが関係ないってことがわかる。

もともと平家物語は琵琶法師が弾き語っていたものだ。口承文学だ。今となっては印刷されて本になって売られちゃっているけど、「口伝い」がもとあったかたちだ。こういうのをわざわざ作中に持ち出してくるからには、そこには意図がある。じゃあ、『1Q84』は口承で味わえってことかというと、それは性急すぎると思うけど。

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