2008年11月28日

レクター博士

「レクター博士」とだけ聞いてすぐにハンニバル・レクター博士が思い浮かんだアナタはまあ俺と同類でしょう。「ハンニバル・レクター」と聞いて『ハンニバル』、『ハンニバル・ライジング』が思い浮かべば、まあまあのファンってところ。『羊たちの沈黙』『レッド・ドラゴン』まで思い浮かべば立派なもんです。

レクター博士はトマス・ハリス原作の小説の登場人物で、精神科医にして猟奇殺人者でカニバリスト(人肉食い)という、けっこうどぎついキャラをしてます。映画ではアンソニー・ホプキンスが演じています。時代設定順では、
『ハンニバル・ライジング』(幼少期-青年期)
『レッド・ドラゴン』
『羊たちの沈黙』
『ハンニバル』
となります。原作者トマス・ハリスは、デビュー作『ブラック・サンデー』を入れて30年にわたる執筆活動のなかで以上の5作しか発表していない、極めて寡作な作家。

俺が初めて触れたのは映画『羊たちの沈黙』のDVDを観たときで、興味を持ち、小説を読んだ。その時はまだ映画化されていたのは『羊たちの沈黙』だけで、さらに深く知るには小説をあたるしかなかったので、『ハンニバル』を読んだ。その後『ハンニバル』が映画化されて、映画館まで観に行った。そのあと映画化された『レッド・ドラゴン』はDVDで観ただけ。『ハンニバル・ライジング』は原作も映画もまだ観てない。つまりレクター博士が幼少期に抱えたトラウマなどはそんなに詳しく知らない。ただ、ネットで検索すればだいたいはわかるし、それ以前に、映画で省かれて一切触れられていない部分が小説『羊たちの沈黙』『ハンニバル』で書かれているので、映画しか観てない方に比べればいくらかは知識がある。

レクター博士のトラウマは、戦時下で妹のミーシャを兵士たちに食われた、というもの。幼くして両親を亡くし、ミーシャを溺愛していたレクター少年はそこで大きな心の傷を負う。のちに出会うクラリス・スターリング捜査官に亡き妹の影を重ねているようなところもある。逆に、クラリスも幼い頃に警官(保安官だったかな?)だった父を犯罪者に殺されたトラウマがあり、FBIに入った。原作では最終的に二人で姿を消す。映画ではレクター博士一人で逃げるのだが。原作のラストでは二人は恋人(?)みたいになってて、もしかしたら続きが発表されるのかな・・・なんて思ったりする。ただその場合、映画化するときはどう辻褄をあわせるのか問題ではある。

映画に関しての問題はもうひとつ、クラリスを演じる役者について。『羊たちの沈黙』ではジョディ・フォスターだったけど、『ハンニバル』ではジュリアン・ムーアだった。ジョディ・フォスターが出演を断ったらしい。レクター博士はアンソニー・ホプキンスで統一されてるからいいけど、クラリスだってけっこう大事な役だから、そうそう女優を代えられちゃうとイメージが定着しない。俺は両方好きだけど、だからといって両方がやるのはあんまり受け入れられないな・・・。

ところで、レクター博士は、まあ異常者ではあるけど、非常にインテリで(天才レベル)紳士的な人物である。芸術にも造詣が深いし、女性に対して礼儀正しいし。そんな彼が聴く音楽はクラシック。特にお気に入りなのはグレン・グールド演奏のバッハ「ゴールドベルク変奏曲」だそうだ。これは今この記事を書こうとして調べていて知った。グールドのゴールドベルク変奏曲といえば、9月28日の「クラシックはじめました」で書いたとおり、俺が適当に買ったクラシックCDのひとつだ。偶然といえば偶然だろう。けっこうメジャーな部類だし。でも、もしかしたら、小説か映画で知ってて、無意識にグールドを刷り込んでいたのかもしれない。ただ、グールドの「ゴールドベルク変奏曲」は何十年も前のデビュー当時の演奏から晩年の新録までいろいろヴァージョンがあるから、レクター博士が気に入っている演奏が、俺の持ってるCDと同じなのかどうかまでは不明。ちなみに俺が持ってるのは晩年の一番最後のやつ。(しかも今、聴きながらこの文章書いてますw。)

それからまた話は変わるんだけど、レクター博士って指が6本あったのね。多指症ってやつ。多指症で思い浮かべたのは、ずいぶん前に読んだ曽野綾子『華やかな手』という小説。多指症って、俺の身近では聞いたことないけど、実際はそんなに稀でもないみたい。歴史的に見てもけっこういる。たとえば豊臣秀吉とか。秀吉は右手の親指が2本あったらしい。多指症は黒人に多いらしいんだけど、日本人で多指症だと、親指が多い傾向があるようだ。他に有名人ではJ.D.サリンジャー(作家。『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑で~)』とかグラース家のシリーズが有名。現在は外界との接触を絶って沈黙してる。この人についても俺はいずれ書くことになるだろう。)も多指症だそうだ。

たしか村上春樹『風の歌を聴け』に出てくる女の子も6本指だったよな・・・?と思って調べてみたら、逆だった。事故で4本になったのだ。それによって双子の姉妹間に対するまわりの人間のとり違いがなくなった、ってことだった。まあだからそもそもこの女の子は5本指だったわけで、先天的に欠指だったのではなく(もちろん多指でもなかった)、レクター博士とは全く関連はありません。ただ、指の本数どうのこうのって思い出しただけです。ちなみに俺も双子の片割れですが、男女の双生児なので間違えられた経験はもちろんない。

で、レクター博士の話に戻るけど、これから作品に触れようと思う方は絶対小説の方がいいよ。小説を映像化した例のほとんどに言えることだけど、時間的な制約から、大事なエピソードがカットされてたり、心理描写なんかもヴィジュアル化が難しいからないがしろになってたりする。おもしろさの差はかなり大きい。原作を読みましょう。

2008年11月27日

Google検索で候補が表示されない

たしか最初にYouTubeの検索ボックスに導入されたと思う、検索語句を入力しようとすると候補が出てくる機能。のちにGoogleにも導入されて、ヒッジョーに便利至極である。

俺はPCにブラウザをいくつか入れている。IE、Apple Safari、FireFox、Google Chromeなどメジャーなのは全部入れてある。でも今年まではずっとLunascapeっていうのを使ってた。そのころはまだタブブラウザ黎明期で、Lunascapeはその先駆けみたいなもんで、こりゃー便利だと思って愛用してきた。LunascapeはエンジンにIEを使ってるので、厳密に言えばIEのウィンドウをいっぱい開いてもLunascapeのウィンドウ一つに収まるよ、っていうシロモノだったのでIEがタブブラウザになって久しい昨今、もうほとんど執着みたいな感じでLunascapeを使っていた。デザインもおしゃれ泥棒だし。

FireFoxは食わず嫌いでインストールすらしていなかったけど、インストールして使ってみたら予想通りたいしたことなかった。ただ、いろんなアドオンが公開され続けているブラウザなので、自分仕様にバキバキにカスタマイズしたいマニアックな人にはいいかもしれない。実際人気はある。SafariはiTunes使ってるとアップデートのときにしつこく「入れてみませんか?ねえ、どうです、入れてみませんか?」って聞いてくるから折れて入れた。あんまり使ってない。フォントが気に食わない。普通のテキストと太字テキストが見分けづらくて。

で、満を持して登場したGoogle Chromeである。これ、インストールして実際に起動してみればわかるけど、速い。コンマ何秒でパッと開くのだ。そしてインターフェイスは極限まで無駄を省いたシンプルなデザイン、かといって機能が貧しいわけではない。必要最低限の機能だけが画面上に表示されてスッキリしていている。わかりやすい例でいうと、ウィンドウの上の枠(なんつうんだっけ、度忘れした)がない。タブが一番上に並ぶ。でアドレスバー、ブックマークバー、それだけ。あとは画面の余す限り最大限にページが表示される。はっきり言って、めっちゃキモチイイ。シンプル・伊豆、じゃねーや、シンプル・イズ・ベスト。・・・ってことで、Chromeがベータで出てきて以来(っていうかまだベータだけどw)これを既定のブラウザにしている。

そんなある日、いつものようにGoogleで検索しようとしたら、候補が出なくなった。Googleがそういうサービスをやめちゃったのかな、と思ったけど、他のブラウザではちゃんと表示される。ってことは、Chromeがアップデートされた際になんらかの理由で対応しなくなったってことだ。で調べてみると、どうもそうではないらしい。他のChromeユーザーでそんなこと言うやつが全然いなかったのだ。ってことは、俺のChromeだけがおかしいということになる。で、設定見直したものの、どこ見たってまとも。っていうか特にいじってないし。ということで、うーん、しょうがねぇなーっつってあきらめた。で、別の日、YouTubeで検索しようとしたら候補が出てくるの。ってことは、ページ自体に何らかの問題があったってことかと。ページっていうのはGoogleのトップね。で、さっそく調べたら、候補を表示するかしないかは、「表示設定」ってとこクリックした先のページの一番下の項目(検索クエリの候補)で変更可能ってことがわかった。わかってみると、なーんだ、ってカンジなんだけどね。で、その通りやってみたらなんと!「検索クエリの候補」の項目がない!急いで別のブラウザ立ち上げて確認してみると、「検索クエリの候補」の項目がちゃんと表示されている。これでとうとうお手上げになった。まーChromeもまだベータだし、いろいろ不具合もあるだろうってことでアップデートを待つことにした。で、つい先日、アップデートがきて、最新になった。・・・しかし例の項目は表示されなかった・・・。

で、こんな俺でも気づいた。これはおそらくCookieだと。Cookieっていうのはごく簡単にいうとブラウザとウェブサイトの連絡帳みたいなもんで、毎回入力すんのがうぜーフォームとかそういうのを憶えていてくれる便利なやつだ。たぶんそこでなにかトラブルが起きたんだろうと。ってことで、Cookieをいじることにした。・・・とはいっても書き換えたりする能力は俺にはない(それがやっていいことなのか悪いことなのかもわからない)ので、ただ単に削除することにした。でも、Cookieをすべて削除しちゃうと、要するにまっさらな状態になっちゃうわけで、まずくはないがヒッジョーに面倒くさいことになる。だから必要最低限のCookieだけ削除することにした。つまり、今俺がトラブってるhttp://www.google.co.jp/関連のみを削除しようと思ったわけだ。

オプション→高度な設定
→Cookieの設定のところのCookieを表示
→検索ボックスに「google.co.jp」と入力
→表示されたCookie(たぶん数個)を選択、削除

これでどうだッ!!Googleの表示設定ページに飛んだら・・・
キタ━━━━━━━━m9( ゚∀゚)━━━━━━━━!!
みごと、「検索クエリの候補」復活!
「表示する」にチェック、保存、そしてGoogleトップへ行き、検索ボックスに「a」と打ち込むと・・・
amazon、ana、au、adobe、apple、asus、asahi、alc、avast・・・
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚アイタカッタゼオマエラ・・・

というわけで、無事、元通りになりました。あまりにアホすぎて誰も問題にも思わなかったのかもしれないけど、俺のこの試行錯誤が誰かの役に立てばええなーと思います。

ジョジョの奇妙な冒険

俺が小学生で、ジャンプを読んでたころ、『ジョジョの奇妙な冒険』は第3部が連載されてて、読んでた。でも途中でジャンプ読むのをやめてしまって、そのままになっていた。というわけで文庫版の8巻-17巻(第3部相当)だけを大人買いした。

はっきり言って、1部2部は読まなくていい。いや、読めばジョースター家の歴史とかがわかるから時間があれば読めばいい。その程度。第3部だけは特別で、アニメになったりゲームになったりして人気があるのは第3部なのだ。(正確には1部もアニメあるけど、人気は大きな差がある)

今の少年がデスノートを好きなのは、論理的な頭脳戦とかにひかれるからだとしたら、『ジョジョ』は絶対にハマる。ただ(イスラム関係の問題とかあるらしく)、入手にはちと金がかかる。第3部は10冊セットで10,000円ちょいする。定価の倍だ。これからもっと高くなるかもしれない。でもそれだけの魅力がある。

名ゼリフ、名場面は未だに掲示板とかでちらほら見かける。それだけ愛されてるってこと。いわゆる「ジョジョ立ち」っていうのも愛好する人たちがいて、サイトでポーズ決めたりしてる。興味を持ったら検索してみてくれ。

とりあえず第3部は揃えた。現在第7部が連載中である。4・5・6部も読んでみたいけど、どれがおもしろいのかな?



行け!稲中卓球部

まあいまさらなんだけど、稲中。高校のころ読んで笑い転げた。そのあと古谷実のマンガはときどき読んでいたので、ふと、稲中を再び読みたいなーと思ってAmazonで全13巻を大人買いした。

古谷実は、一貫して「思春期」を描いている作家である。スタートである『稲中』はギャグマンガとして認知されているけど、その後の古谷の作品を読むと、少し違った目線でとらえることができる。『ヒミズ』なんか読むと、えっ、これ稲中の作者なの?ってなる。思春期のドロドロを暗い方面から描いてるからだ。稲中のおバカなイメージしか持ってないやつが読むと絶対びびる。でも全体を俯瞰してみればギャグマンガだろうがシリアスだろうが、徹底して思春期という一つのテーマになってることに気づく。

こないだの「(1+2)+3」の話じゃないけど、やっぱ、稲中しか読んでない人は、それはそれで一つの作品だしめちゃくちゃおもしろいから完結してると思っちゃうんだと思う。それはそれでいい。でも、あとあとまできっちり読めば、全体として新たにまったく別の作品になる、というか、稲中じたいの読み方さえ変わってくるような気がする。稲中ファンはヒミズも読んでみてください。




猫のゆりかご

あらすじやなんかは検索すればクソほど出てくるので省く。

『タイタンの妖女』で衝撃を受けた俺は今、カート・ヴォネガット・ジュニアを読み進めている。いろいろ本を読んできて現代の作家の村上春樹に行き着いて安心してたけど、そういうのもすべてヴォネガットを読むための壮大な伏線だったのかな、と思い始めている。

「猫のゆりかご」っていうのは日本で言うあやとりで、単なる糸の絡み合いだ。人はそれに意味をこじつける。でも本当は「猫なんていないし、ゆりかごもないんだ」。まあ読んでない人はちんぷんかんぷんだろうけど、そういうものだ。

それから、作中の宗教「ボコノン教」の儀式のひとつに、人と人が足の裏をくっつけて座る「ボコマル」っていうのがあるんだけど、昔読んだ『ビリーバーズ』っていうマンガの中でも全く同じ行為が描かれてた。たぶん山本直樹は『猫のゆりかご』を読んだんだろう。同じように、ヴォネガットの影響を受けたっぽい人はたくさんいて、村上春樹はいわずもがななんだけど、今読んでる作品にある歌の歌詞が出てきてびっくりした。これについては後日あらためて書くわ。



2008年11月24日

『(1+2)+3』の作品

先月購入した『ゴッドファーザー』全巻を観終わった。正確にはpart1・part2を先月観て、少し時間を空けて今日part3を観た。この鑑賞に関してはpart1が'72年、part2が'74年と連続して公開されたのちpart3は'90年に公開されたため、ブランクがあってちょうどよかった。別にわざとそういう見方をしたわけじゃないけど。マイケル役のアル・パチーノが青年から、渋いじいさんになってた。

part1・2と3の間にブランクがある作品ってことで気がついたのは、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』だ。『ねじまき鳥クロニクル』は第1部・第2部が'94年に刊行され、翌'95年に第3部が刊行された。そのため『ねじまき鳥クロニクル 第1部&第2部』と『ねじまき鳥クロニクル 第1部-第3部』を別の作品とみる人もいる。たしかに、ナツメグとシナモンが登場する第3部があるのと無いのとでは少し違ったものになる。俺は3冊続けて読んじゃったけど。

ゴッドファーザーは特典ディスクが2枚付いてて、200分を超える特典映像が収められているそうだ。それを観ることによって今とはまた違う見方もできるようになるのかな、と期待している。




2008年11月20日

1995年

ウィキペディア見てたら、1995年ってけっこうすごい年だったんだなと思った。

第二次世界大戦終戦50年の節目。阪神淡路大震災。オウムによる地下鉄サリン事件。青山幸男東京都知事と横山ノック大阪府知事当選。Java発表。PHSサービス開始。NTTがテレホーダイサービス開始。Microsoft Windows95発売。ゆりかもめ開業。ブルーハーツ解散。光GENJI解散。『ゴジラvsデストロイア』(ゴジラ完結)。『ガメラ 大怪獣空中決戦』(ガメラ復活)。『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(世界記録26年48作完結)。新世紀エヴァンゲリオン放映開始。プリント倶楽部発売(コギャルブーム)。

以上、ウィキペディアから「おっ」っと思ったものだけ抜粋。なんか、新しい時代の幕開けみたいな年だったなあ。PHSサービス開始で、このあたりから電話持ち歩いたりするようになったんだね。テレホーダイもこの年から。Win95発売とともに、インターネットが一般に広がった。mp3もこの年あたりから普及しはじめたそう。ほかにもまだあるので興味ある人は「1995」と検索してみてね。

2008年11月14日

Yahoo! BBに電話しました

こないだ初めて知った。まずはここを見て。

Yahoo!BBで解約電話すると裏プランが出てくるpart17

びっくりしたね。俺はヤフーBBユーザーなんだけど、教えてもらうまで全く知らなかった。っていうか掲示板の情報だし、鵜呑みにしなかった。でも一応どうなってんのか知りたくて調べてみたら、どうも本当らしいぞと。で、電話してみるだけしてみようかなと。解約を「検討中」って言えば、もし裏プランが存在しなかった場合、「もうしばらく検討してみます」って言ってそのまま継続すればいいんだし。こっちはビタイチ損しない。フリーダイヤルだし。

で、電話してみた。オペレーターの女の人に「うちは集合住宅なんですけど、光が入ったらしくて乗り換えようか検討中」、そんで単刀直入に「もっと安くなるプランがあるって聞いたんですけど・・・」って言ってみた。そしたらマジで裏プラン提示された!(もちろん向こうは「裏プラン」とは言わず「テストマーケティングどうたらこうたら」って言ったけど)

ADSL8M→12Mで月2,000円ちょっとだそうだ。ちなみに50Mもあるんですかって聞いたら、ありますよって。いくらですかって聞いたら3,000円ちょっとですよって。正確な金額は忘れたけど、どちらにしろ8Mの今のプランより安い。うわー、こんなのほんとにあるんだ・・・って思った。で、迷わず50Mにしてもらった。モデムも今のままでいいらしく、電話局で回線ちょっといじるだけだそう。

つまり、なーんもしないで、8Mが50Mになって、料金が安くなっちゃったのだ。電話一本入れただけだ。・・・ってことで、切り替えはまだだからなんとも言えないけど、そういうことがありました。なんか、知らない人が損することって多いなと思った。そもそも、新規契約にばっかり力を入れて、既存の契約者をないがしろにしすぎだよね。

国のない男

『タイタンの妖女』で久しぶりに読書による衝撃を受けたので思わず注文した、カート・ヴォネガット・ジュニアの遺作『国のない男』が届いたので読んだ。これは小説じゃなくて、エッセイというか、ヴォネガットからのメッセージが収められてる本。誰に向けたメッセージかっていうと、アメリカ人たちだろうな。まあ、他の国の人が読んでもわかるっちゃあわかるけど。

ユーモアを交えながらのアメリカ批判、現代文明批判、芸術観、人間観。地球は人間を排除しようとしているっていう説は、なるほどなと思った。気に入ったところを引用するわ。

みなさんにもひとつお願いしておこう。幸せなときには、幸せなんだなと気づいてほしい。叫ぶなり、つぶやくなり、考えるなりしてほしい。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」と。



こころの声を聴く

河合隼雄の対談集。以前『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読んでから、河合隼雄の著書は何冊か読んだ。『こころの声を聴く』にも村上春樹との対談が収められていたので読んでみた。

まあ、ぶっちゃけ、たいして目新しいようなことは書いてなくて(そもそも10年前の本だ)、そんなにおもしろくなかった。だけど、山田太一との対談後の文章で気になったところがあった。

昔は、ある意味では現在よりも自由がなかったと言える。身分や階級などでがんじがらめである。ところが、昔は「祭」というものが、その本来的な機能を果しており、人間の深部にあるものを一挙に表面化し、各人はそれなりに自分の実存的な存在感を確かめることができた。現代はそのような本来的な「祭」の体験をすることが、ほとんどない。このため、人間の祭への希求の衝迫は一般に「病」とか「異常」とか言われるような行動となって表出される。

これを読んで浮かんだのは、ネット掲示板の「祭り」である。現代の若者が「本来的な祭」の体験を希求していて、例えば田代まさしが神って呼ばれてパーソン・オブ・ザ・イヤー投票で1位になっちゃったりしたんだけど、こういう「バカ騒ぎ」したくてしょうがないんだと思う。ほかに表出する場がないから。

あと関係ないけど、祭りって言えば蘇民祭のポスターが問題になったときも、掲示板に爆発的に貼られてたなあ。言ってみれば祭りの祭りだよね。



2008年11月12日

さまよう刃

時代物、海外ものと読んですこし疲れてしまったので、東野圭吾でも読むかと思った。さいわい、積ん読の中に東野作品があったので手に取った。それが今日の午前。気がついたら500ページ弱すべて読み終わっていた。いちいち言わなくてもいいかもしれないけど、それだけぐいぐい読ませられたってこと。

妻に先立たれた長峰の心の支えであった一人娘の女子高生・絵摩が殺された。彼女をレイプし殺害したのは未成年の少年グループだった。謎の密告電話に教えられて長峰が行ったアパートには、絵摩の遺留品と彼女がレイプされている模様を録画したビデオがあった。そこに映っていたものは父親が最も見たくないものと、犯人たちの姿だった。気が狂いそうになっていたそのとき、アパートの住人である犯人の少年が帰宅してしまう。長峰は少年をメッタ刺しにして陰部を切り取り逃走、さらにもう1人の犯人を捜しに出る。少年は少年法によって「裁かれる」のではなく「保護される」のだ。犯人が警察に逮捕されてしまえば長峰の復讐は果たせなくなる。犯人は逃亡、それを長峰が追い、さらにそれを警察が追う。マスコミが追う。

俺が読みながらどう思ったか、読み終わってどう思ったか書くと、それだけで未読の方に申し訳なくなってしまうため、感想は控えるわ。本当は書きたいんだけどね、すごく。Amazonのレビューに多少ネタバレを含むものがあったので、どうせ読まない、という人は下記リンクより。↓



2008年11月11日

タイタンの妖女

村上春樹の全作品を読んできて、しかも大学でそれなりにのめり込んでいた俺が、カート・ヴォネガット・ジュニアの作品を今までひとつも読まなかったのはなぜだろう?村上春樹関連の書物には必ずと言っていいほどヴォネガットの名が挙がっていたし、それを見逃すほどバカな学生でもなかったと自分では思っていたのに。

今回、未だうずたかく積みあがっている「積ん読」の中からこの一冊を手に取ったのは昨日の深夜2時のことだった。(正確には、日付が変わって今日の2時だ。)理由はとくにない。『恩讐の彼方に・忠直卿行状記』を読み終わってなにげなくあらすじを読んでいたらそれはもう始まっていた。そして午後には読み終わった。そう、徹夜してもうたのである。久々のことだった。

読み終えたあと、俺はヴォネガットのファンになっていて、Amazonでめぼしい著作を注文していた。そしてなにげなくウィキペディアで「ヴォネガット」と検索してみて、彼の誕生日がまさに今日であることを知らされ、雷に打たれたみたいな感覚を覚えたのだった。。。



恩讐の彼方に・忠直卿行状記

菊池寛の短編集。10篇を収録。

表題作はもちろんのこと、俺にはそれ以外の作品もおもしろかった。基本的に時代物なんだけど、高校生のとき藤沢周平を読み漁った身には懐かしいような気持ちがした。

「藤十郎の恋」がいちばん身近な物語のように感じたけど、冷静に考えたらちょっと違うわな。



2008年11月9日

物語という公式

昔から、すごい昔から数学を研究していた人たちがいて、その人たちが発見した公式とか定理っていうものを土台にして、新たな数学者たちが新たな発見していく。文学においてもそうなんじゃないかと。昔から物語っていうものがあって、遡れば神話とかそういう古い物語から、新たな作者たちが新たな物語を作っていく。

数学では、ややこしい計算を一つの美しい公式でびしっと片付けたりできる。これは発見だ。そしてそれを使って新たなややこしい問題が片付けられる公式ができる。ややこしければややこしいほど、そして公式が、証明が美しいほど人は感動したりするわけ。

文学では、人間の悩みとかを描いて、それを共通のものにすることによって、みんなで乗り越えていけるっていうか、教訓を得ることができる。

だから数学では解の公式を知らない人よりは解の公式を知っている人の方がより容易に次に取り組めるし、文学で言えば名作といわれる作品を知っている人の方が知っていない人よりも(容易とはいわないけど)楽しめる。これは文学が疑似体験であることから。より高次のものを目指すときには、土台を積み重ねていくことが重要ってこと。小学一年生に三角関数のグラフ書いてみろっていって書けますか?

それと、純文学と大衆文学っていう分け方がある。俺が思うに、純文学は数学で、大衆文学は理学なの。理学は数学の応用として、実生活に関わる事象を取り扱うみたいなとこあると思うから。

ちょっとごちゃごちゃ書いたので意味不明なところもあるかもしれないけど、そういうこと。たくさん本読んで疑似体験とか追体験していくと人生が豊かになりますよって。

だいぶ端折ったので、細かく書き直すかもしれません。

2008年11月5日

聖女の救済

「おそらく君たちは負ける。
僕も勝てない。
これは完全犯罪だ。」

「男が自宅で毒殺されたとき、離婚を切り出されていたその妻には鉄壁のアリバイがあった。
草薙刑事は美貌の妻に魅かれ、毒物混入方法は不明のまま。
湯川が推理した真相は――虚数解。

理論的には考えられても、現実的にはありえない。」

以上が帯の文句。虚数っていうのはi^2=-1、つまり2乗してマイナスになるやつで、理論的には考えられても現実に示すことは難しい、っていうか普通はできない。この作品のトリックがそうで、理屈は通るけど実際そんなことができるのか?っていうトリック。まあ小説だから、犯人はそれをやってのけるんだけど、これはまさに女の情念がなしえた犯罪。これ実際にやったら完全犯罪できるんじゃね?って思った。できないけどw。

タイトルもあとから考えたら意味深。誰が誰を救済してたのかっていう、おっと、これ以上は言えねえ!


ガリレオの苦悩

『ガリレオの苦悩』は短編集。収められた短編のうちいくつかはドラマ「ガリレオ」でやってたやつで、トリックが分かってたのであんまり楽しめなかったけど、他のはおもしろかった。

最後の『攪乱す(みだす)』は湯川の頭脳に挑戦してくる犯人、自称「悪魔の手」が起こす殺人事件はおもしろかった。遠隔で人を殺す仕掛けは、多少強引な気もするが、この手の小説はトリック命みたいなもんだから、それを考えついただけでよしとする。それ以上を求めるならやはり長編に手を出すしかない。人間ドラマやなんかを求めるならば。



楢山節考

俳優の緒形拳がこないだ亡くなった。「風のガーデン」は亡くなる前に撮影してあって、今放送してる。緒形拳が出演した映画のひとつとして、この『楢山節考』があがっていた。調べてみたら、姥捨て(うばすて)の話だと言う。深沢七郎という作家の作品は読んだことがなかったんだけど、なんとなく引っかかっていて、先日ついに読んだ。この本自体は短編集で、『楢山節考』はその中のひとつ。

所収の順でいうと、『月のアペニン山』『楢山節考』『東京のプリンスたち』『白鳥の死』の四編なので、『月のアペニン山』から読んだ。気がふれた妻と別れる男の話。精神を病むことって、今ではいくらか理解されてるような気もするけど、まだまだだとも思う。この短編中では時代が古いせいもあって、妻が精神病だとわかったってただそれだけで弁護士に相談して別れちゃうんだから。遠目から元妻を見て、まるで「月のアペニン山」でも眺めるように、つまり人間としてではなくモノとしてとらえているところで終わる。まったくひどい時代の話。

『楢山節考』も、今では考えられない話である。貧しい部落の掟として、年老いたものは「楢山まいり」として山に捨てに行くのだ。そこでは「ねずみっ子(孫の子、つまり曾孫)」を抱くことは嘲笑に値する。また、主人公のおりんは自分の歯が丈夫であることも恥じていて、火石で打ち、臼にぶつけて折ってしまう。今では曾孫を抱くことは幸せなことだし、身体が健康であることもまた然りなんだけど、時代が時代だけにそれらはみな逆の意味を持つことになる。

読んで「現代に生きていて良かった」と思うと同時に、戒めにもなったのでした。



東京するめクラブ

村上春樹の紀行文はおもしろい。『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』は今のところ一番新しい紀行文。正確には村上氏のほかに、吉本由美、都築響一の計3人で著したもの。

”好奇心のおもむくまま、「ちょっと変な」ところを見てまわった”とあるように、普通の紀行文やガイドブックとは少し違う。「地球の歩き方」っていうガイドブックのシリーズがあるけど、それに対抗して「地球のはぐれ方」なんだね。

しょうゆ君のふるさと、名古屋から始まる。誤解をおそれずに言えば、名古屋って変だよねw。文化が独特。名古屋の人には2種類あって、一生名古屋から出ない人と、名古屋から出て一生戻らない人とに分けられるんだそう。(そう?>しょうゆ)食文化も独特だし、結婚式の派手さも有名。ほんまディープやで。

ほかには熱海、ハワイといった一見「観光地」にも行くんだけど、熱海はもはや廃墟が群れを成す街で、その廃れ具合を楽しんでいた。うちらと似てるね、見るところが。ハワイは「ゆるさ」に焦点が当たってて、「アホになりに行くところ」なんだそうだ。ぎちぎちに計画立てて行くんじゃなくて、それこそ一日中ホテルで寝てるとか、そういうことが許される。そういう意味では本当の休暇だよね。

江の島、サハリン、清里と続くわけなんですが、読み終わった後、ぜひ「ここに行きたい」と思うことはなかった。ただ、そういう土地があるんだなあと思うだけで。