2009年4月29日

町長選挙


『イン・ザ・プール』(記事)、『空中ブランコ』(記事)に続く、奥田英朗の精神科医・伊良部シリーズの第3弾。

4つのおはなし。(所収順)
  • 不眠症と暗所・閉所恐怖症の新聞社プロ野球団オーナー、ナベマンこと田辺満雄の話「オーナー」
  • 平仮名が思い出せなくなったIT長者、アンポンマンこと安保貴明の話「アンポンマン」
  • 若さと美貌への執着が病的になった歌劇団出身女優44歳、白木カオルの話「カリスマ稼業」
  • 離島での熾烈な選挙戦に巻き込まれた都庁職員、宮崎良平の話「町長選挙」

3つは誰でも容易に想像できちゃう実在の有名人がモデルだろうなってことで、基本、シリーズに連綿と通底する伊良部節。ニヤニヤしながら安心して読める。表題作「町長選挙」のモデルは人物ではなく島だ。ページ数も多めに割いてある。この短編集で異色といえば異色である。でも期待通りどれもおもしろかった!



印象に残ったのは伊良部の「物事、死人が出なきゃ成功なのだ」っていうバカボンのパパばりのあっけらかんとした一言。これが伊良部の真骨頂かも。シリーズを見渡しても、ちらほらとそういうシーンがある。いちばんわかりやすいと思うのは、
『空中ブランコ』所収「女流作家」P.279
「先生、お医者さんの無念って何ですか?」愛子が聞いた。
「そりゃあ患者さんが死ぬことだよ」伊良部が鼻に皺を寄せて言った。
 そうか、医療の現場は人の死と直面するのか。安易に想像するのが失礼なほどの、大変さだろう。
「医局員時代、ぼくは内科にもいてね。小さな子供が治療の甲斐もなく亡くなると、担当したみんなが泣いたね」
 そうだろうな。胸が張り裂けるとはこのことにちがいない。
ってあたり。曲がりなりにもこいつは医者なんだな、と思う。思うけど、そのあとすぐに伊良部節が炸裂する。
「弔いのカラオケをやろうって誘っても、みんな乗ってこなかったもんね」



それから、まさか「レクター博士」という言葉が飛び出すとは思わなんだ。(チョムゲブログ:レクター博士)一瞬考えたあと、ああそうか、伊良部もレクター博士も「精神科医」だったわ、って思い出した。

綺麗なので3冊並べておきますね。

うん、いい眺めだw



ここから余談です。『空中ブランコ』の記事で書いたように、文庫化されるのを待つつもりだったんですが、たまたまブ○クオフをぶらぶらしていたら単行本の方があったので買ってしまいました。そして直後に文庫版が出て、あちゃー、と。単行本を中古で買うのと、文庫本を新品で買うのはだいたい同じくらいの価格だったなとか、『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』と文庫で読んだんだから『町長選挙』も文庫を待てばよかった(表紙がシリーズを通じて統一された赤ちゃんのデザイン)とか、後から言ってもはじまらないことばかり思いました。なら単行本売っちゃって文庫版買いなおせよってなりますかね? なりませんよね。まあいいや、中身は一緒だから・・・って、中身が一緒で価格が一緒なら中古でなく新品を・・・とか、つるピカハゲ丸くんか俺はw。

葉桜の季節に君を想うということ


たとえばCDをジャケ買いするように、小説のタイトルだけ見て買うっていうこともあるよね。なんて呼ぶかわからないけど。俺がこの歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』を手に取った理由の一つではある。で、桜が散った頃に読もうと思っていた。で、読んだ。けど。

「やられた!」感のあるミステリーとしてはけっこう知名度は高いよう。確かに最後の方はあちゃーやられたってなった。タイトルさえも仕掛けだったのかとかさ。でも。

主人公の、ハードボイルド気取りの言葉とか行動がちらほら出てきて(たとえば女関係とか)、でもなんだか(幼稚とか中二病とは言わないけど)若気の至り的な考え方だなぁと思いながら読んでた。パッと見、かっこよさそうで、でもどこかかっこよくないんだよね。・・・とかっていうのもすべて作者の意図だったのかしらと今になって思う。たぶんそうなんだろう。しかし。

ミスリードに最重点を置いて、それに賭けた感は否めない。それでミステリーのその分野としては、賭けは成功してる。賞もいくつか獲ったらしいし。それ以上望むんじゃねえよ、欲張んなよ、他当たれよ、お門違いだよ、こっち見んな、って言われたらそりゃそうなんだけど、やっぱり物足りませんでした。正直。

ということで、読もうかどうしようか迷ってる方には、この『葉桜――』ではなくて、我孫子武丸『殺戮にいたる病』の方を推しておきます。両方読んでもOK牧場だけど。「やられた!」感のものさしで測れば『殺戮――』。ってことで勘弁してください。

2009年4月25日

村上春樹『1Q84』がAmazonで予約受付開始で思ったこと

  • 予約できる状態になったらメール送りますって言ってたので登録しておいたら、つい今しがたメールが来た。もちろんすぐにポチった!でも、お急ぎ便がこういうときに使えないのってどうなの。。
  • 村上春樹の小説はある時期から俺の人生のエポックメイキングに少なからず影響を与えている。今回もそうなるだろうと思っている。今までそう思ってきて、裏切られたことはない。
  • 『1Q84』が売れたら(たぶん売れる)、『ノルウェイの森』の映画化もいい成績になるだろう。本は世界中の言語に翻訳されて出版されてたぶん売れる、映画もたぶん売れる。
  • およそ文学賞というものとなぜか相性がよろしくないことが多い村上春樹。さかのぼれば芥川賞も(何度か/何度も)候補に挙げられながらもうやむやになってしまった。ノーベル文学賞にしたってここ最近、有力有力と言われながらすんでのところで漏れている。芥川賞は新人賞の色が強いので仕方が無いと言えば仕方が無い、あきらめるしかないし、今さらもらったとしたって却って皮肉というか侮辱モノ。でもノーベル賞は違う。
  • 楽しみ。




2009年4月24日

フェルマーの最終定理

今さらながら、読みました。サイモン・シン。
17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが―。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション!
流行ももう喉元を通り過ぎた頃だと思いますが、おもしろかったところを。

  • 川の実際の長さは、直線距離のおおよそ三倍になる
これはじつはπ倍(≒3.14倍)なんだと!

  • (四つの区域が七つの橋で結ばれている町ですべての橋を一度だけ渡るためには、それぞれの区域は偶数本の橋で結ばれていなければならない。なぜなら、それぞれの区域を通過するためには、必ず一つの橋を渡ってその区域に入らなければならず、別の一つの橋を渡ってそこから去らなければならないからである。)例外は二つしかない――出発点と終着点だ。
なんかこれってすごく深い意味にとれちゃうんだよね。人生とか。オイラーが考えたのはそんなことじゃないかもしれないけど。数学だからね。

これら以外にもおもしろいことがたくさん散りばめてあったよ。


ここから余談だけど、ラストの方を読んでいて、フェルマーの最終定理の証明は、人類が単純な計算以外で(つまり論理で)コンピュータの力を借りずに解決した最後の問題だったのかもしれない、っていうような印象を受けた。チョムゲブログ:物語という公式(2008/11/9の記事)にも書いたけど、先人の発見を土台にして研究する(つまり端折れる)ということでは、誰か(人間)が発見した方法を用いるか、コンピュータが発見した方法を用いるかだけの差で、コンピュータも人間が造ったものだということを忘れずに考えたら、大差ないのかもしれない。

噛みしめた日

処方箋を出して薬局の外に出たら、あまりにも天気が良くてあったかくて、でも手放しで喜べない、複雑な気持ちがした。

3月の末からだんだんと陽気の良い日が増えてきて、その度に、わあ、なんつうことだよ、幸せじゃねー? 春だよ、春。冬が終わったんだ、としみじみ思い、桜が咲いてより一層強く思った。花びらが散って全体が緑の生命力あふれる葉に覆われ、親鳥の愛みたいに限りなく降り注ぐ陽光をその葉がひな鳥みたいに貪欲に欲して、そしてそれを裏切られずに与えられている、そういう「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」的な幸せの手ごたえのある感触。平和だな。これからもずっとこれが続けば、続くという保証があれば、いうことないし、もっと欲を言えば、これまでもこうだったら良かったのに、と思った。でも考えてみたら、こういう春の穏やかな日差しに恵まれたいかにも平和な日なんて、昔から何度も、何度も何度もあったわけだし、たぶん俺が感じたようなことも誰かが感じた可能性が高い。むしろそうじゃないはずが無い。

それでも、人類の歴史って、お世辞にも平和だったとは言えない。史実を学ぶという言葉が表すほとんどの事柄は、人と人とが争い殺しあう戦争について学ぶということだから。学校の歴史の授業で争いごとについては扱わないことにしましょうってなったら、たぶんそこで学ぶことはほとんどないんではないかな。そして驚くべきことに、戦争は教科書や小説の文章といった過去や未来だけのものじゃないのだ。これは日本人だから驚くだけであって、他の国や文化で生まれて育った人たちは当たり前だと思ってるかもしれない。戦争が身の周りで起こってて当たり前だって。それは戦時中の日本人もそうだったんだろう。

平和だ、としみじみ思うと同時に、これがいつ失われてしまうか誰にも分からない上に、そうなる可能性を想定してる若い日本人はそういないだろうな、と思った。緑の葉っぱをじっと眺めている、その1秒後に至近距離に爆弾が落とされちゃうとか、このブログを読んでいるのはそんなこと考えもしなかったって人がおそらくほとんどだと思う。でもそれって、2001年の9月11日のあの日ワールドトレードセンターでパソコンをカタカタやってた人たちもそうだろうし、1995年3月20日のあの日営団地下鉄でウトウトしてた人たちだってそうだ。職場のビルにボーイングが突っ込んでくる(しかも2機も!)なんて誰が思ってただろう? いつもの月曜日の朝の気だるい通勤電車のラッシュの中で化学兵器が使われちゃうなんて誰が思ってただろう? 誰もそんなこと思ってなかった!想像もしてなかった!遠い国ではそういうことが起こるかもしれないとは思ってたかもしれない。けど自分がそれに巻き込まれるなんて。

そんなわけで、幸せとしか形容できない春の日に、今ここにある(一見堅固だけど実はすごくもろい)平和ってものを感じたね。

イマイチピンと来ない方はわかりやすいのがあるのでどうぞ。

2009年4月17日

店員「当店のポイントカードはお餅でしょうか」ぼく「えっ」

最近圭子を笑わせてないので。

当店のポイントカードはお餅でしょうか?のガイドライン
(これ読んだ後に一人で買い物するの怖いw絶対笑っちゃう。)

うまいこと書く人けっこういるけど、いちばんツボだったのは>>61
61 :水先案名無い人 :2009/04/13(月) 19:41:10 ID:tLhcrJBr0
警官「寄生虫なので、できれば引き返して最初の信号を右に行って下さい」
ぼく「えっ」
警官「寄生虫ですから、引き返してください」
ぼく「なにそれひどい」
警官「えっ」
ぼく「ぼくが寄生虫ってことですか」
警官「寄生してるのは警察ですよ。寄生してるので重体なんです」
ぼく「えっ」
警官「えっ」
ぼく「だれが重体ですか」
警官「誰というか、まぁここを通った人全員ですかね」
ぼく「あなたも僕に寄生しますか」
警官「えーとね、あのですね、この先でトラックが横転して積荷が産卵したんですよ」
ぼく「えっ」
警官「つまり事故ですね」
ぼく「何が産卵したんですか」
警官「精肉業者のトラックで、冷凍された肉が産卵したみたいです」
ぼく「なにそれやばい」
警官「ええ」
ぼく「重体の人は大丈夫ですか」
警官「えっと、まぁ寄生虫とはいえゆっくりと動いてはいますから」
ぼく「なにそれこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」
警官「とにかく、先ほどから警察が現場の方で超刺してますから」
ぼく「なにそれもこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」

2009年4月12日

FINAL FANTASY XIII

まずFFIVのゼロムス戦を見てみよう。

うん、手に汗握っちゃうね☆
じゃあ、今度はFFXIIIのトレーラーを見てみよう。
えーと、とんでもないことになってるね☆
←を押すと全画面で酔えるよ☆w
「ゲームはグラフィックの美麗さに惑わされずに中身で勝負しろ」が口癖のチョムゲですが、こればっかりはやられた感がした。それであれでしょ、どうせFFだからストーリーも圧巻でゲーム性も絶妙なんでしょ。
もう少ししたらPS3を買おうと思ってたんだけど、FFXIIIが出るころまで待つわ。

2009年4月11日

アカペラでゼルダの伝説のテーマを歌うおにいさんたち

ちなみにこれHD画質なので、画面右下のところのをクリックすると全画面でキレイに見られます。
ちなみにこの人たち他にもアカペラでいろいろパーフォームしています。
いやー。2009/2/29にも書いたけど、いろんな人たちがいますね。

ジェネラル・ルージュの凱旋

何を言ってるのかわからねーと思うが、これらの2作品は「続編」とかいうような関係じゃないのだ。

読み終わらないうちからこんなこと言ってた俺ですが、やっぱり当たってました。

感想。

戦場で指揮を取る「ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)」こと救命救急センター部長・速水晃一、かっこよすぎ。ブラック・ジャックといい速水といい、物語の中の医者ってのはどうしてこうもかっこいいんだ畜生。

下巻P.100
「俺を裁くことができるのは、俺の目の前に横たわる、患者という現実だけだ」
下巻P.175
「人の生き死にを決めるのは、神だ。俺は今から神になる」
ああ、もうだめ。好きなセリフ抜き出そうとしてるだけで目から汗が出る。このへんにしときます。

ここから余談なんだけど、iTunes使ってる方はiTunes Storeで「ジェネラル・ルージュの思い出」っていうPodcastがあるので聴いてみてください。将軍のチュッパチャプスの秘密が分かります。(ここをクリック←iTunesが立ち上がります)
http://www.tbsradio.jp/category/drama/であればブラウザでも(たぶん)聴けます。無料です。

それから気づいて「あっ!」ってなったんだけど、映画版「チーム・バチスタの栄光」「ジェネラル・ルージュの凱旋」の監督って、「アヒルと鴨のコインロッカー」の中村義洋氏だったのね!(参照:当ブログ2009/3/30の記事

BRUTUS


最近、雑誌「BRUTUS(ブルータス)」の特集がいちいち気になる。コンビニで立ち読みで済ますには惜しく、手元にとって置きたいレベル。なので見かけるたびに買うハメになる。

今回は「仏像」。ぱらぱらとページを繰ると、もう買わずにいられない。俺が中高生のころにこういうの出してくれたらよかったのに。

牛久の大仏のところではRくんを真っ先に思い出した。あとはマンガ『聖☆おにいさん』のブッダ。


ここから余談なんだけど、コンビニでこれをサンドイッチと飲み物と一緒にレジに出したら店員さんに話しかけられた。

店「こういうの・・・お好きなんですか?///

俺「ええ、まあ。ブルータスって、特集がすごくおもしろくて・・・

すると店員さんは

店「わたしも仏像とか好きなんです・・・/// 今、上野の方で阿修羅展、やってるんですよね、わたし、見に行きたいなぁって思ってるんです・・・///

って、なんだか雲行きが怪しくなってきたので、

俺「そ、そうですか・・・

とお茶を濁して会計を済ませました。



自分の母親より年上の女性と仏像を見に行くなんて、どんだけ悟りの境地に達してんだよって思いました。


<関連リンク>

のどちんこが腫れて焦った

#2010/03/08追記:
※のどちんこが腫れてググっていらした方へ:
申し訳ありませんが、この記事はただの日記です。お早めに病院へどうぞ。
受診後、また読みにいらしてくださいね。(&お大事に!)
チョムゲより



起きたらのどに違和感があって、ああ、また扁桃腺が腫れてるのかなと思ったんだけど、どうもそうじゃないようだった。扁桃腺の炎症のエキスパートだからすぐにこれは違うと思った。それで鏡でのどを見てみた。

肝をつぶした。のどちんこがデカくなっていたからだ。控えめに言って1.5倍にはなってる。舌にのる勢い。おばけちんこ。のどちんこが腫れたことなんてたぶん生まれて初めてだった。

しょうがねぇなーっつって、消炎鎮痛の薬を飲んでトローチを舐めて、まだ眠かったので二度寝することに。ちょっと気になったので布団の中から携帯で「のどちんこ」って検索。なにやってんだか俺。

まあ収穫はあったよ。「のどちんこ」は「口蓋垂(こうがいすい)」っていうらしい。口蓋垂が肥大するパターンで一番多いのはイビキらしい。悪化すると睡眠時無呼吸症候群になるらしい。俺の場合は慢性的なものではないから(なにしろ生まれて初めて)これは違った。

あとの原因は肥満、疲労、喫煙、飲酒、などが候補に挙がっていたんだけど、自慢じゃないけど俺はオールビンゴ。とりあえず肥満はその場でどうこうできるもんじゃないので、あと3つをつぶしてみようと思った。これは簡単。このまま寝ればいい。眠っている間はタバコも酒もやらないから。疲労もいくらかではあるけど取れる。

仰向けで寝ていると口蓋垂で塞がって息がしづらい(というより意識して呼吸しないといつのまにか止まってるw)ので横を向いて寝た。

結果として、大きさはちょっと元に戻ったくらいだったけど、違和感や痛みはだいぶ和らいだ。ちょっと様子を見て、週明けに治ってなければ病院へ行ってみます。いかんせん珍しいケースのようです。



ここから余談なんだけど、ネットで「これこれこういう症状なんですが、病気ですか? or 病院行った方がいいでしょうか?」って聞く人いるけど、そういう人こそ病院で診てもらうべき。他人に「病気です」とか「大丈夫です」って言われて納得するんだから、はじめっからお医者さんにかかればいろんな意味で安心。嘘言われないし、場合によっては治療や投薬してもらえる。下調べとしてネットを使う分にはOKだけど、「病気ですか?」って言われたらたぶんそうなんじゃね?ってなるし、「病院行った方がいいでしょうか?」って言われたら100パー行った方がいいってなる。だってそれ以外は「嘘」じゃん。そんな人に「行かなくて大丈夫ですよ」って言うのが通常の意味での嘘だし、それ聞いたところでその人も結局病院行くんなら(どんな答えだろうが辛くなりゃ医者に走る)別の意味で嘘だし。

極端な例だと「子供がベランダから落ちました。病院に行った方がいいですか?(お困り度:緊急)」とか。お困り度:緊急って。わかってるじゃんって。

2009年4月7日

ハゲコウはわたしたちに何を教えてくれたか

千葉市動物公園から逃げ出し、市内を転々と飛び回っていたコウノトリの一種「アフリカハゲコウ」が5日、ようやく住宅街で無事捕獲された。
4月2日に動物園を逃げ出したメスのアフリカハゲコウは、動物公園近くのマンションや変電所の鉄塔などにとまり、住宅街を転々と飛び回っていたが、5日午後3時すぎ、飼育員によって無事捕獲された。
千葉市動物公園の京増裕行園長は「ご協力、本当に感謝しています。ありがとうございます。うれしくて涙が出そうですよ」と話した。
現在は、動物病院の飼育舎で、けがもなく水を飲むなどして、元気に過ごしているということで、千葉市動物公園は、できるだけ早く一般公開し、名前を募集することも考えていきたいとしている。
(動画)

まず「逃げ出した」っていうニュースを知ったときに、俺はすごく感慨深いものがあって、「おぉ・・・逃げたんだ・・・」と(ヘンな話)嬉しくなった。

(The) Blankey Jet City(ブランキージェットシティ)に「皆殺しのトランペット」っていう曲がある。この曲の前半はベンジー(浅井健一)のセリフというかボソボソ語りになっていて、そこでしゃべっている内容が似ていたからだ。歌詞を検索してリンク貼ろうと思ったんだけど、マイナー過ぎるのか、あるいはメロディに乗せて歌っているわけじゃないので「歌詞」の範疇じゃないのか、そこらへんはわからないけど、ちゃんとしゃべりの内容を読めるサイトはなかった。少なくとも「歌詞検索」と銘打ってJASRACとごにょごにょしてあるサイトではみんな前半を端折ってしまってあって、「別に人生がつまらないわけじゃないさ」から始まる後半部分からしか読めないようになってた。

簡単に説明すると、
ベンジーがロンドンの動物園(London ZOO)での出来事というか考え事を回想して名古屋弁でしゃべる。動物園(の近くの高台から)でハクトウワシを見る。檻も柵もなく、足枷もない。逃げようと思えばいつでも逃げられるのに、なんであいつは逃げないんだろう・・・。すると彼が翼を広げて羽ばたく。見るとその翼は短くていくら羽ばたいても飛べるはずがなかったことがわかる。誰かが彼の翼を切った。ベンジー「この話はとても悲しい感じがするでしょう、でも悲しんでいても彼の翼はもう二度と返らない

・・・というような長い前置きのあと、歌が始まるわけです。ブランキーの名曲たちのなかでもかなり異端っぽい1曲です。でもなぜか心に残ってしまう。

それでここへきて、千葉市動物公園からアフリカハゲコウが逃げ出しましたってニュースを知ったという按排です。これは心を動かされざるをえない。ついに逃げたかぁぁぁ!!って。やっぱり飛べないように翼は切り落とされていたらしいんだけど、なんということでしょう、伸びたらしいんです!この話のどこがすごいのかイマイチ分からない人は、まず、鳥の翼をもぐということはどういう意味があるのか、現実的なことはもちろん、比喩的なことなども含めてじっくり考えてみるといいです。

でも結局は捕まっちゃったよね、というのは結果論。キモは、一度は翼を切られた鳥が再び飛んだ、というところにあるんだから。そのハゲコウの死ぬ間際に、一生の中に「わたしは、鳥が鳥であるためになくてはならない翼をもがれた、けどまた伸びて、この動物園から脱け出たことがあるんだ」という1ページさえ浮かんだなら・・・!!少なくとも俺は励まされたよ。アフリカハゲコウってコウノトリの仲間らしいんだけど、ハゲコウ=はげますこうのとり、なんじゃねwくだらねーw

動画サイトで聴けるかなと思って検索したら案の定見当たらなかったので、Amazonへのリンクだけ貼っておきますので興味が沸いたらレビューだけでも見てみてください。
CD (1997/6/18) ※2008に再発があったものの紙ジャケなど評判低し。
ディスク枚数: 1
レーベル: ポリドール
収録時間: 45 分
ASIN: B00005FJU1

曲目リスト
  1. プラネタリウム
  2. プディング
  3. ミッキー・ダック
  4. 皆殺しのトランペット
  5. 感情
  6. スパゲッティ・ヘア
  7. キャンディ,ストア
  8. ガソリンの揺れかた
  9. デニス・ホッパー
  10. 海を探す
序盤でがっつりブランキーに鷲掴まれて、
4.皆殺しのトランペット→5.感情 と一気に深度を増し、
6.スパゲッティ・ヘア でスパーク&テンションMAX、
8.ガソリンの揺れかた→9.デニス・ホッパー と定番がきて、
10.海を探す でありえないほど綺麗にさわやかに幕を下ろす。
流れが上手すぎる。何度も繰り返し聴ける。


ここから余談だけど、この記事の冒頭に引用したニュースの中の、動物園長のコメント「うれしくて涙が出そうですよ」は、真逆の意味でハゲドウです。

2009年4月2日

マルホランド・ドライブ



デイヴィッド・リンチの映画は難解だ、ああ難解だと何回も耳にしていたので、よし、じゃあ、ちょっくら俺の出番かなと思い、Amazonでこの「マルホランド・ドライブ」と「インランド・エンパイア」を買ったはいいが、例のごとく観るのを後回しあとまわしにしてきた。で、ようやく観た。

何がなんだかわからなかったというのが正直なところです。所どころにヒントらしきものがあって、「これは・・・あれは・・・」と頭の中でメモをとりながら観たんだけど、それでも自分ひとりでは納得のいく考えが導き出せなかった。でもこれって、他のほとんどの映画と同じような気構えでこれ観たら誰だってそうなっちゃう気がする。難解だよとか言われて、はいそうですかって、でも観れば分かるっしょって、所詮は映画でしょって、そんな気持ちで観ちゃうとこうなるのは当然だろう。

この映画はいかにも観る人それぞれの解釈で云々っぽいテイストだし、実際いろんな解釈してる人たちもいる。でも、そうじゃないような気がする。リンチは確実に意図を持って作ってると思う。そういう意味では、伝え方が難解なのかストレートなのかっていうだけで、他の映画と同じようなもん。ということは、これは「難解さ」を楽しむというか、観た後に(ネットなり本なり何でもいいけど)模範解答を自分で探してなるほどって合点する過程を楽しむ映画なのかもしれない。

芸術作品はそれを鑑賞する人それぞれが自分なりの解釈を云々っていうのは、そりゃそうなんだけど、これはハッキリ言って解答が用意されたクイズみたいなもんだから、他の芸術作品とはハナシがちょっと違ってくる。もちろん映像とか音楽とかセリフにセンスはあるよ、念のため。だから映画としては全然ダメじゃないですよ。ただ、繰り返すようだけど、難解ってだけで、やってることはたいしたことない。マルホランド・ドライブっていう、ハリウッドを俯瞰できる位置にある実在の道をタイトルにして、ハリウッドのダークサイドを描く、それだけ。ただそれを、ややこしいクイズにした。だから、「謎」とされるディテールそれぞれに模範解答があって、なるほどと合点する。これを観客に丸投げしちゃうところ、しかもそれでみんな喜んじゃうところが、リンチのスゴさなんだろうな。

「インランド・エンパイア」も一緒に買っちゃったからいずれ観ることになると思う。だからあんまり詳しく調べてないんだけど、どうやら「マルホランド―」より厄介っぽい。いい意味でw。

ここから余談なんだけど、某サイトに難解な映画教えてくださいって質問があって、当たり前のように「マルホランド・ドライブ」もあったんだけど、その中に「マグノリア」を並べて挙げてあってちょっとそれは違うだろと思いました。「マグノリア」に関しては、機会があれば(っつうかソノ気になったら)書こうと思います。でもそれ始めたらAimee Mannの音楽に関しても言わずにおれないし、ジュリアン・ムーアのことも、村上春樹『海辺のカフカ』のナカタさんのあれについても含むところがあるから、とてもじゃないけどいつもみたいに勢いでババっと書けないだろうな、きっと。まあいいや、今回みたいにちょくちょくマグノリアマグノリアって言い続けてればそのうちブログ内検索の結果だけで一つのコンテンツになっちゃうかもだし。「めぐりあう時間たち」についての記事でも出てきたし。そのうち、ソノウチ・・・。