2009年6月11日

1Q84: 青豆は死んだのか

Book 2, P.33にチェーホフの言葉が出てくる。
物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない
これに関しては俺は以前どこかで読んだことがあって(十中八九村上氏だと思う)、それからはもう「お約束」みたいに捉えてた。

それは、ダチョウの竜ちゃんが熱湯風呂の上で「おまえら押すなよ!絶対押すなよ!」と言ったらまわりの芸人は突き落とさなくてはならないっていう、そういう感覚に似てる。ただ、新しいスタイルでは、あえてそこで押さずに放っておいて竜ちゃんが「押さないのかよ!」というのもある。これは最初の「お約束」を、芸人たちはもちろん、視聴者もわかっていてこそのものなの。

そうなると、Book 2のはじめの方であえてチェーホフを引用してくることの意味とはこれいかに? 作中で「お約束」を説明しちゃってるんだから、それは裏切られなくてはならないってことだろうか。この場合、青豆の手にした拳銃が火を噴くか否か、ってことだ。

すんなり「お約束」が守られるとすれば、青豆は発砲するだろう。あえて新しい方をとるなら、青豆はトリガーを引かない。

で、Book 2, P.474まで飛びますと、青豆の最終章のラスト1行はこうなっている。
「天吾君」と青豆は言った。そして引き金にあてた指に力を入れた。
微妙な、絶妙な物言いだ。どっちにもとれる。もちろん、ヘックラー&コッホを口に突っ込んで引き金にあてた指に力をいれれば、脳味噌はぶちまけられちゃう可能性は限りなく高い。なので、単純に「青豆は天吾のために死んだ、おしまい」って理解しちゃってもそれはそれでいい。でもやっぱり(読まれた方はほとんどだと思うけど)青豆には幸せになって欲しいやん、どうしたって。

これには続編の可能性の議論(http://chomge.blogspot.com/2009/06/1q84.html)とかも絡んでくるからほんとうに選択肢がひろがりんぐなんだよね。2冊完結だとしても微妙なところなんだから。大ラスで天吾が青豆をみつけようと決心するところも、「彼女がたとえ誰であろうと」ってとこまで言っちゃってるから、いや、青豆は青豆やん、って思わされたり、つくづくだよ。

ってことで、考え中。

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