2009年3月31日

1Q84 (ich-kew-hachi-yon)とカラマーゾフの兄弟

当ブログ2009/2/2の記事で、村上春樹の最新長編がAmazonに出てるよ、とお伝えしました。今日ふと自分のブログを読んでいたらタイトルのところに『1Q84』って書いてありました。なんだこれ、Amazonの予約の番号か何かか?と思ったのですが、「1Q84」で検索したところ、これが新作のタイトルらしいです。いちきゅうはちよん、らしいです。ジョージ・オーウェル『1984』と関係があるんでしょうか。

村上さんは以前からところどころで「(『カラマーゾフの兄弟』のような)総合小説をいつか書きたい」と言ってました。今回の長編を「ものすごく長い」と言っているところからして、ついにやっちゃったんでしょうか。還暦だし。

『カラマーゾフの兄弟』は小説のラスボスだ、っていう話があります。どこかのブログで見た気がしますが、なるほどな、と思いました。俺は『カラマーゾフの兄弟』は挫折したクチで、もう少し経験値上げてから挑もうと思っていたので、ラスボスっていう表現がぴたっときたんですね。

『1Q84』がどんな内容なのか、断片的にしか分からないんですけども、入手したあかつきには、すべての積ん読を後回しにして、読んでいる途中の本まで投げ出して、他の何よりも優先して読みたいです。レベルどうこう言わず挑みたいです。とりあえず読んで、それから他でレベルアップして再読して、ってやりたいです。

カラマーゾフの兄弟(上・中・下)(新潮文庫)


カラマーゾフの兄弟(1-5)(光文社)(※「読み易い」と良い意味でも悪い意味でも評判の新訳)







2009年3月30日

アヒルと鴨のコインロッカー(映画)


当ブログ2009/1/13の記事で伊坂幸太郎の小説『アヒルと鴨のコインロッカー』について書いた。その時に映画版の方のAmazonレビューが絶賛の嵐でワロタwって書いて、それから気になっていたので、今日DVDを観ました。

原作がミスリードありきの物語だったので、これをどう映像化したのか、しかもおおかたが褒めちゃうような映画にどうやってしたのか、正直想像がつかなかった。観る前から配役とかもろもろの予備知識はネットで知ってたけど(というかストーリー自体、原作を読んでるのでもちろん分かってる)、それにしてもどうすんだと。どっかしら綻びが出るんじゃないか、そしたら骨格どころかエピソード端々の良さが丸潰れじゃないかと思ってた。でも、観終わって言える事は、よく作ったなあ、と。

チョムゲの観たポイント

・どう映像表現するのか想像がつかないながらも期待してた通り、ボブ・ディランの歌が作中で(つうか全編で)ちゃんと流れてた。



・瑛太が吸ってたタバコがパーラメントだった。これは俺には見逃しようがないw。原作の小説ではたぶん出てこなかった(出てたら即俺が反応してたはず)ディティールです。しかも旧デザインの方ね。

・ペット殺しの江尻役を演じるハローバイバイ・関暁夫。都市伝説関連の著書が売れて(読みました)本業のお笑いどうすんだよと思ってたら今度は映画俳優。セキルバーグ先生何してんすか。芸の幅が広い。

・小説版についての記事でも書いたけど、「主人公」椎名が本当の意味でこの物語の主人公じゃないというのがいやというほど分かる。中盤ほとんど出てこないw小説だと2章1組だから1章おきにちゃんと出てくるのに。



繰り返すようだけど、まあ、よく仕上げたよな。監督・中村義洋GJ。ただこれは、俺が原作踏まえて観たことによる補正がいくらか入ってる可能性がある。映像化無理じゃね?→なるほど!→GJ!って、原作が頭に入ってる前提だから言えるのかもしれない。っつっても、いきなり映画版からって人もいたし、そういう人たちも褒めてたところを鑑みて、これはこれで楽しめるようになってるってことですね。

ここから余談だけど、これこないだ深夜にテレビで放映したらしいね(泣)。2009/3/14だって。何のためにテレビ番組の雑誌を買ってるんだっていう。地デジ?

プリングルズのオマケについて

飲みに行こうと思ってお店行ったらシャッター閉まってた。定休日じゃねーのに。

畜生、っつってコンビニでビールとおつまみを買って帰ったよね。そんでビール飲みながらDVD観たよね。

で、ここはおつまみの話ですけど、DVDの話じゃなくてまことに申し訳ないんですけど、プリングルズ買ったの。あのー、まあ、なんだ、説明いらねーと思うけど、あの、筒に入ってるポテトチップスな。プリングルスじゃなくてプリングルズな。プリングスでは毛頭ございません。

そのプリングルズ(Pringles)の、なんだっけ、サワークリームオニオンだっけか、緑のやつ、あれが、俺は好いてるの。オキニなの。ほっといたら一日10枚くらい平気で食べちゃうくらい。まあ、いうても、毎日コンビニ行くわけじゃないので、しかもコンビニ行っても毎回買うとは限らないので、そうさなあ、一年にあの筒2本分くらいでしょうか、食べます。なんだ、たいしたことねーじゃん、と思われるかもですが、スナック菓子といふものを普段食べつけない人にはこれは相当な(ry

・・・えーと、なんだっけ、えーと、あ、そうだ、そうそう、プリングルズ!、それを今日買ったわけです。なんか回り道してクドい話になったっぽいけど、まあいいや。とにかく今日、プリングルズ・サワークリームオニオンを一缶買ったんです。

そしたら、オマケが付いとるわけです。薄っぺらい箱が。で、ナニナニ?と読むと、「8cm CD-ROM入り Microsoft Windows XP/Vista 日本語対応」とある。えっ、てなるじゃん。たかがポテトチップスにXP/Vista対応っすか、って。しかも「※音楽CDではありません」って付け加えてあるし。なんなの、なんかのソフトなの、ってなるじゃん。で、勘のいい人なら分かるじゃん、あ、こりゃ壁紙とかスクリーンセーバーの類だなって。そんなん、公式サイト行きゃ貰えるんと違うん?ってなるよな。でもよく見ると「みんなで遊べる ポップアート&ゲーム」って書いてあるわけです。

というわけで、DVDを観てる間じゅう、そいつがチラチラ自己主張してくるんです。キラッ、キラッて。「オイオイw、ちょっと待てよw、お楽しみは後だ☆」とかなんとか言いながらなんとかDVD観終えて、いい具合に夜も更けて、盛 り 上 っ て ま い り ま し た ってなって、いざ事に及んだら、何のことはない、クソゲーなんです。クッソゲーなんです。クッッソゲー2つと、オリジナルデザイン缶を作ろうっつうアプリが入ってるんです。どれもこれもなんです。実際カーソルキー使ってプレイしたんですが、酷いです。あんまりです。でも、お菓子のオマケなわけで、一粒でウン百メートルとかいうオマケ考えたら、何も言えないです。あーこれもアレかな、プレミア付いたりすんのかなー、と思いましたけど、それはないよね。だってCD-ROMに収めた「データ」なんだもん。

まあ、それはそれとして、とりあえずプリングルズのサイト見てみたよ。トップで言語選択するんだけど、けっこうな言語がそろってて「あー世界中でみんなが食べてるお菓子なんだなぁ」と思ったのも束の間、日本語(Japanese)がないの。日本ではマダマダなんすかね。しょうがねぇなーっつって「いんぐりっしゅ」を選んでみたら、その先に、あったよね。ゲーム。オマケに入ってたやつ。全部が全部かぶってたわけじゃないからまだ救いがあるけど、なんだかなー。やっぱグローバルなとこはそういうの疎いんだろうか。

何を言ってるのかわからねー方はわからないまま生きていった方がいいです。深く考えずに、輝ける未来へと進んで行ってください。オマケひとつでガタガタ言う俺を置き去りにして行ってください。

2009年3月28日

ナイチンゲールの沈黙


チーム・バチスタの栄光』がそれなりに面白かったので、田口・白鳥シリーズ第2弾のこの『ナイチンゲールの沈黙』上下と、第3弾『ジェネラル・ルージュの凱旋』上下を買っておいたものの、例によって積ん読になっていた。

後回しあとまわしにしていたんだけど、『ジェネラル―』が映画化されたっていうのもあって、まあ頃合いかなあと読み始めた。疑問を一つ持って。それは、『ナイチンゲールの沈黙』はなぜ映像化をすっ飛ばされたのか?ということ。これは何かあるな、と。

読了後、悪癖に則りAmazonのレビューを覗いてみた。予想はしてはいたけど、ボロクソだったよね。バチスタで期待して読んだのに残念です、とか、はっきり言ってSFです、とか。俺もこれだけを読んだ直後だったらそういうのに近い感想になってたかもしれない。でも俺はラッキーだった。積ん読が功を奏し、がっついて読むことによる落胆を回避できたから。

というのは、俺は『ナイチンゲール―』を読了後ただちに『ジェネラル―』に取り掛かれたからだ。何を言ってるのかわからねーと思うが、これらの2作品は「続編」とかいうような関係じゃないのだ。今『ジェネラル―』を読み始めたばかりなので、あんまり深く突っ込めないのが口惜しいところだけど、出だし数章読んだだけで「なるほど!」と合点したよね。発表された時期には間があったから、逐一追いかけていたファンなんかは『ジェネラル―』を読み始めたときにデジャ・ヴュを味わったことと思う。あれ?これ、どこかで・・・?ってね。続けざまに読み始めた俺はデジャ・ヴュどころじゃなかった。『ジェネラル―』の冒頭の一言一句が『ナイチンゲール―』とビタッとかぶってるんだもんな。それもそのはずで、同じ大学病院を舞台にしていることは言わずもがな、時系列が一緒なんだ。当然、救急で運ばれてくるクランケも、救急隊員と受け入れ病院との応対も、ICUでの処置も、同じになる。

別の視点からの書き方でも問題はないんだろうけど、俺はまるでコピーアンドペーストしたようにぴったり同じ書き方に、書き手の意図を感じた。病院っていうのは、常に同時多発的にいろいろなことが起こり続けている場所なんだ、っていう。一つの出来事だけしか起こってないって考えるほうがむしろ不自然だ。リア医の海堂尊だからこそ書ける物語じゃないかな、とも思う。

だから、『ナイチンゲール―』が消化不良に終わったそのすぐあとに『ジェネラル―』を読み始められた俺はラッキー以外の何者でもない。この2作品は対になってる。間を空けずに読み始められて本当によかった。

まだ『ジェネラル―』は読み始めたばかりなので、おいおい書くと思います。ただ、『ナイチンゲール―』だけ読んで落胆してしまって、「海堂尊は所詮『バチスタ』の一発屋だった」と切り捨てたとしたらもったいなさすぎるかな、と思ったので書きました。

『ナイチンゲール―』が映像化をすっ飛ばされたのは、なんだかうっすらわかる気がする。ちょっと難しいかも。ヴィジュアル化が難しいのもあるっちゃあるけど、それはできないこたぁない。むしろ、凄惨な事件現場や事件そのものを果たして映倫が許すだろうか。つまんないとこで茶々入れられて貧相なものが出来上がるくらいならハナっから作らねぇよ!ってことじゃないかしら。考えすぎでしょうか。

2009年3月27日

THE 大美人

こないだ本屋さんに行った帰り、併設の玩具売り場を冷やかしてたら、ワゴンでゲームソフトの叩き売りをしていた。新品未開封で480円とかなの。
ざっと眺めたら、そりゃもうクソゲーの祭典なの。だいたい、1/3くらいはパチンコ・パチスロのシミュレーションゲーム(←実機がパチンコ屋さんから撤去されたらほとんど買う人いない)で、1/3くらいは聞いたこともない対戦格闘ゲームで、あと1/3くらいがSIMPLEシリーズ、って感じだった。ほんとにね、誰が買うんだよと思うよね。
だけど何故か俺はクソゲーを見ると心が躍ってしまい、ワゴンの端から1本ずつ品定めしてた。そこで見つけたのがこれ。
3Dのビキニのお姉ちゃんと、まわりを飛ぶヘリコプター、足元のビル。なんなのだ、これは・・・。とりあえず、買ったよね。なんかちょっと恥ずかしかったけど。
説明によると、このお姉ちゃんは双葉理保っていうアイドル(バーチャル・アイドルで、他のゲームにも出演しているそうです、知らなかった)で、沖縄でグラビア撮影してたら謎の生命体に巨大化させられたんだって。それで、自衛隊が出動して云々。もうね、クソゲー臭がプンプンするでしょう。たまらんよね。
で、今日やってみたんだけど、期待を裏切らないクソゲーだったよね。でも、面白くないわけじゃないんだ。バカゲーって言った方がいいかも。コンセプトがバカを目指してるようなところあるし、それを想像して俺なんかは買ったんだから。確かにバカだよこれは。
まあそれだけなら、いちいちブログで報告しないんだけど、Amazonのレビューを見たらこれが酷いの。操作性が最悪っていうレビューが多かったんだけど、その人たちは何を求めたんだって。フライトシューティングやりたいならエースコンバットシリーズやればいいんじゃね?思い通り動かせると思うよ。もしこのゲームの戦闘機とかの操作性が誰にも文句言われないレベルで、すんなりクリアできてしまうようだったらダメでしょうに。懐古って言われるかもしれないけど、ゲームってそういうもんだと思うんだ。ゲームオーバーを何回も繰り返してちょっとずつ上手くなって、ゆくゆくはクリアっていう。下手したら途中でセーブできなかったり。
最近のゲームって、映画と区別つかないよね。ムービーのグラフィックもストーリーもすごくレベルが高くなってて、観てて唸る。だけどさ、プレイ時間の90%くらいムービーとかってなっちゃうと、それは違うじゃん。合間合間でちょこちょこゲーム挟んで、って本末転倒じゃん。別に映画観たいわけじゃないじゃん。そういう人もいるかもだけど。たとえばバイオハザードシリーズ、あれの原点「バイオハザード」('96ってw)だって、ムービーはちょこっとだった。でもそれが怖くて、だからこそ観たくて、何度も何度もゾンビにムシャムシャされてゲームオーバーになっても果敢にやり続けたんだよね。今それやったら、マゾゲーとか言われて見向きもされないんじゃないかな。その証左に、こないだ出たばかりのシリーズ最新作「バイオハザード5」あたりになってくると、けっこうスイスイ進んじゃう。そうしないと売れないからだろう。'96の無印は、うわっゾンビだっつって逃げようとして壁に突っかかってガリガリ走ったりしてもどかしくて怖くて、でも慣れてくるとまともに戦えるようになってっていう、そういうのが面白かった気がする。
「5」なり最近のゲームが面白くないっていうんじゃないからそこは誤解しないでください。ただ、繰り返すようだけど、映画と区別がつかなくなってきてるとは思う。バイオなんて、ほんとに映画作っちゃってるからね。「バイオハザード ディジェネレーション」ならCGアニメだけど、ミラ・ジョヴォビッチの「バイオハザード」シリーズなんか実写だ。で、それなりに成績がいいから3部まで作った。
話を元に戻すと、ゲームを買うメインの層がどうの(堪え性がないとか)ってのも多少あるけど、やっぱり作り手の意識が変わってきたんだろうと思う。ビジネス寄りに。市場規模がでかすぎるから、ターゲットを最大公約数にしたいってことで、ゲーム性のシビアなゲーム(なんか変な言い方だけど)を作る気が起きなくなるんだろうと。自然、グラフィックなりストーリーに凝るようになるよね。そしてそれがエスカレートすると、ムービーメインときどきゲーム、みたいな作品がばんばん・・・ってなる。でも、それで喜ぶユーザーが多いのも現実なわけで。ただし、裾野が広がったってだけで、マゾゲーはマゾゲーでちゃんと作られている。それだけユーザーなりゲームメーカーが幅広く現れてきたってことだね。別に悲しむことじゃないね。
ここから余談なんだけど、冒頭の「THE 大美人」って松本人志監督「大日本人」のパクリじゃね?って思うよね。でも「大美人」が2004年で、「大日本人」が2007年だから、逆だよね。松ちゃんが「大美人」やったかどうかわからないけど。たぶんやってないと思うけど。
あと余談の余談だけど、松本人志監督映画第2弾「しんぼる」がこの秋公開するらしいです。(公式サイト

2009年3月22日

「えーマジ?ありえなーいwww」って言われそうだけど

昨日書いた記事に圭子がコメントつけてくれたんだけど、ちょっとこれは看過できないので、1本いっとくわ。

誕生日だったFMのDJがバッキー木場で、俺もそのラジオ垂れ流しの状態で聞いてたのは内緒の話し。

しかも俺もラーメン食ってたというこの気の合いようw
3月 22, 2009
なんという・・・w

ラーメン屋でラジオが流れてるのはありうるよ。認めるよ。むしろ当たり前かもしれないよ。たまたまFMで、局がbayFMだったっていうのも、千葉のラーメン屋ってことで、可能性はまああるよ。でも昨日の記事で書いたように、俺がラーメン屋でDJバッキー木場の「実は僕、今日誕生日なんすよ」告白を聞いたのは、普通にラーメン食べに行く時間帯じゃなかったんだよ。他に客が一人もいなかったんだから。つうかラーメン屋でラジオはありうるって言ったけど、そのタイミングが一緒っていうのが奇遇すぎるんだよな。昼をかなり回った時間になぜ、俺たちは同時にラーメン食べたんだ? 気が合うってレベルじゃねーぞ!(参考→http://www.youtube.com/watch?v=1SaL--WAb0s

ああーなんかいらんことを次々に考えてまうわー。なんで俺と圭子が知り合ったんだとかから始まって、なんで同じ千葉なんだ、どうして同じ日本なんだ、地球、宇宙―・・・ハイきりがないですよね。ここで「これは何らかの力が」とかって方向に行くと、2009/1/5の記事(神は妄想である――宗教との決別)にあった典型的な有神論を信じることでしか自分を納得させられなくなったりするんですね。あまりにも信じがたい奇跡みたいなことがあると、それを受け入れるのが難しいので、そういう類を一括で説明してくれるシステムに流れちゃう。昔の人がどうやって宗教っていうのを作って信じて維持してきたか、みたいなことがうっすらわかるわ、その気持ちは。いわゆる「神秘体験」を実際にしちゃうとさ、「そんなん、偶然だよ」って言われるより「それはコレコレこういう~」って、嘘でもいいからこじつけてくれたほうが精神衛生上の安心感があるっていうか、ね。まあそれより強固なシステムが存在しない時代には、って話ですけど。なので宗教賛美ってんじゃありません。

でも俺はそういうできごと自体は大好物だよ。そういう話を聞くのも好きだよ。以前、ある映画の記事のときにも書いたけど。(参考→2008/12/27の記事(めぐりあう時間たち)

いつどこでどうなるかわかったもんじゃないね。困ったことに。



ここから余談なんだけど、2009/3/9にTKGの奇跡っていう記事を書いたの。

あれだけだとまあそんなにたいしたことないのかもしれない。実際俺だってテンションがいつもより上がったってだけだから。

でもさあ、それから3,4日してからだったかな、スクランブルエッグ焼いたんだよ。卵4個使って。片手でポンポンできるような慣れてる人じゃないと、フライパン熱してから卵4個を割り入れたんじゃ1個1個が遅すぎてスクランブルになる前に目玉焼きができあがっちゃうじゃん。だから大きめのお茶碗にあらかじめ4個割っておいたの。コンコン、パカッ、コンコン、パカッって、それ4回やったの。でフライパンあっためて、いざ焼くべ!と思ってかき混ぜようとお茶碗の中覗いたら、

 卵 黄 が 5 個 あ っ た ん だ よ ね。

えっ、てなるじゃん。俺4個しか卵割ってないやん、って。三角コーナーに捨てた卵の殻も確認したけど、4個分の殻だったよ。過不足なく。きっちり4個分だったよ。日常生活で「卵4コンマ何個」とかって言わないもんな。

だから結局のところ俺はまた双子の卵にコンニチハしたってことだ。平日、フルタイムで、9時5時で卵を割るっていうような職人さんならまだしも、圧倒的大多数の人々の暮らしの中で、こんな短期間に2回連続でこんなことが起こんのか?と一瞬思い、いや、起こったんだよな実際、と冷静に受け止めたわ。

どんなに確率の低い、ありえないとさえ思われることでも、起こるときは起こるんだよね。変な意味じゃなく。
(´∀`*)

2009年3月21日

おくりびと




春めいてきたので、髪を切ってきました。

------ ここからしばらく雑談 -------

14時ごろ家を出たんだけど、店に行ったら「かなりお時間をいただくことになりますが」って言われて、まあそこは俺も待ち時間に読もうと思って本を持ってきてたから、余裕シャクシャクで「待ちます。ちなみにだいたいどのくらいでしょうか」って聞いたの。そしたら「17時過ぎには」って言うわけ。・・・えっ、てなるじゃん。春休みだし土曜日だしで混んでるだろうなとは思ってはいたけど、それはないわ。3時間弱は想定外だったわ。繁盛してまんなー・・・。でも俺、最初の段階で「待ちます。」って即答してたんだよな。困ったことに。

だからっつって律儀に待たなくても、「じゃあ別の日にします」って他の店で切ってもらっても良かったんだけど、気がついたら「じゃあ17時過ぎにまた来ます(キリッ」ってバイク跨ってた。俺βακαなの?

とりあえず何も食べてなかったのでラーメン屋さんに行った。「射っ精!!シャッセーイ!!」って威勢よく叫ばれたとき、時間が時間だけに他に客が一人もいなかったのと、そのラーメン屋さんは初めて行く店だったのと、考え事してたのとで、俺、ちょっと面喰っちゃってさ(ラーメン屋だけに)、キョドっちゃったよ。さらに「カウンターの方ドゾーッ!!」ってかまされたんだけど、その店、どうみてもカウンター席しか無いのよ。しかも全席空きで。しょうがねぇなーっつってお兄ちゃんの顔色窺ってビクビクしながら「じゃあ、ここで・・・」ってスツールを一つ選んで座った。で、流れ的に注文ってことになりますけど、イニシアチブ取り返すためには「ここでモタついたらお終いだ」って頭があったから、壁に貼ってあった写真で一番大きなラーメンがこの店のおすすめなんだろうと判断し即注文。座ってから注文まで、この間約3秒。確信したね。――「(勝った)」――誰に見せるでもない、心のガッツポーズ。たぶん俺の眼が怪しく光ったと思う。こっちもガキの使いでラーメン食べに来たわけじゃないんで。お兄ちゃんには悪いけど。って。

そこでお兄ちゃんが言ったよね。ひとこと、

「先に食券を買ってください」……(-。-)ボソッ

Σ(゚д゚lll)ガーン

えっ、てなるじゃん。え、ここ、そういうシステムだったの? で、入り口の方見たら、入ってすぐのところにでかい食券の販売機置いてあったわ。デーンて。ドア開けた瞬間に威圧されてパニクって、でもどうにか着席、注文っていう流れで確実に取り返したと思ってたけど、思えばドア開けた瞬間に勝敗は決まってたってことだよな。(取り返したって何を? 勝敗って何の? 俺βακαなの?)

FMが流れててそのDJが、実は今日は僕の誕生日なんですよ、集まってくれたみんなはもちろん知ってて来てくれたんだよね、あれ、知らないかw、みたいなこと言ってたけど俺もう完全に上の空。はやくラーメン平らげて出て行く、それしか考えてなかった。「濃い目の味が好みの方は特製しょうゆダレをお使いください」って張り紙あったけど、もうすでにちょっとしょっぱかったわ、いろんな意味で。

ごちそうさまでしたって言って急いでバイク跨って腕時計見たら、まだ全然早かった。どんな意味合いにおいても「時間をつぶした」とは到底言えない早さだった。しょうがねぇなーっつって道の向かい見たらパチンコ屋があったの。・・・もうね、わかると思うけど、他に選択肢ないよね。

なんか今日はたまたまイベントだったらしくて、人がいっぱいいた。とてもじゃないがシマの真ん中で打つ気になんてなれなかったので端台をざあーっと見て回ったよ。そしたらあったよ。パチスロ。その名も「ハードボイルド」。なんとかこの状況・形勢を持ち直すにはこれしかなかった。これも選択肢なんてなかったよね。いいんだよ、結果的に大負けだったとしても別に。それはそれで(ハードボイルドに)この状況のカタがつくっていうか、気持ちの持って行き場ができるから。まあ、もちろん勝つに越したことはないんだけど。(ちなみに先のラーメンのトッピングの味付け玉子は半熟でした)

結局英世先生3人で頑張ってくれて、何度かボーナスきた。でもなんていうか、いわゆる「遊び台」ってやつで、そんなに減らないけどかといって増えるでもない台だった。パチンコ屋さんのイベントではたいていこういう台がいくつか設けられている。それから他にもスロット当たってみたけど、どれもみんなパッとしなかった。

その頃には俺はもう、ものを考えることが億劫になってて、勝ち負けとか、さらには何と戦ってんだとか、一切合財どうでも良くなってきた。そうなると、一回転ごとのBETボタン→スタートレバー→第一リールボタン→第二リールボタン→第三リールボタンっていう操作とか、機械のちょっとしたシグナルを目と耳で読み取ることとか、ちょっと匂ったら目押しするとか、まあ一言で言うと、「パチスロを打つという行為自体そのもの」が徒労だとしか思えなくなって(普段打たない人からしたら実際そうなんだろうけど)、止めたよね。

しょうがねぇなーっつってパチンコに移った。これなら右手でハンドル握ってさえいれば、眠ってたってどんどん動いてくれるもんな。17時まであと一時間くらいだったのでとりあえず5,000円のパッキーカードを買って、玉貸しボタン押してハンドルをぐいと捻り、あとはボーっとタバコ吸ってた。オートマティックにメカニカルに打ち出されては釘に当たって弾んであっちに行ったりこっちに行ったり、運がよければスタートチャッカーに入り、でもほとんどはどこにも受け止められずに流れていくたくさんの鋼球を眺めて、ああ、もう何も考えなくていい、って考えながら(笑)。

そんなわけで、もはや自分の台だとかなんだって関係なくなってて、目の前の画面そっちのけで周りの客の様子とかその人の台のランプがピカピカ光っているのを見るともなく見てた。

そうしたら、ですよ。俺は「CR新世紀エヴァンゲリオン~使徒、再び~」を打ってたんですが、隣に座ってたメガネかけた地味めのお兄ちゃんが突然ガッツポーズしたんです。グッとやったんです。何事かと思って見てみたらシンクロ演出でシンクロ率が(たしか)400%ってなってたんです。なんだよただの暴走モードじゃねーか紛らわしいと思ってその台のカウンター見たらそのお兄ちゃん1000回転以上回してて、やっとのことでの大当たりだったんだ。納得したね。そっかそっか、そうだよなって。そんだけ熱くなってたらそりゃ脊髄反射でガッツポーズも出るよな、わかるよ、オッケー牧場!(ガッツだけに)って心の中でニヤニヤしてました。そしたら、ですよ。次の瞬間、そのお兄ちゃんが「どうだッッ!」みたいな眼でこっち見てきたんです。今度ばかりは二度目ってのもあって本当にびっくりしました。いや、別におまえさんは俺と勝負してたわけではないやん。いうたらパチンコ屋と勝負してはったんやないですか。百歩譲っても、パチンコ台と勝負してたんやないですか。少なくとも俺とではないやん。俺に勝ったわけじゃないやん。むしろ、おまえさんと俺は同じ敵と戦っているという意味で仲間同士やん。なのになんでそんな眼しはるんですか岡村さん、と言いたくなったわ。まあ、その人は岡村隆史っていう名前じゃないだろうと思ったので言いませんでしたけど。無言で自分の台に意識を戻しましたけど。

そうすると変なもので、俺も大当たりがきたんです。モノリス予告(全部点滅)からキール予告(「三度の報いの時が、今」)に発展プラスアスカ群っていう、幾分珍しい演出で。しかもそれ、パッキーの残度数ゼロになってからですからね。さあもう頃合だ、そろそろ時間的にも終わりにして髪を切ってもらいに行こうって思ってて、でも万が一、最後の最後で図柄が揃っちゃって玉が一発もないとなったら新たにパッキー買わなくちゃいけなくなるってことで5,6発だけ残して回してたときですからね。これはいつもヤメるときに行う俺流儀式みたいなもんで、今までそれでやってきましたけど、実際当たったことなんてありませんでした。万が一ですからあとの10,000分の9,999、つまり99.99%は外れるんです。その気休めのお守りみたいな、ある種強迫的な儀式が、役に立つときが現実に起きたわけです。まあ俺は「こんなこともあるときはあるんだなぁ、うん、ラッキーだな」くらいにしか思いませんでしたけど、隣のお兄ちゃんは顔真っ赤でした。なんか可哀想になっちゃいました。

でもそれだけじゃありませんでした。一回目の大当たりこそ単発図柄だったのでいよいよ帰ろうと思っていたんだけれども、その時短で、しかも時短100回のうちラスト2回転ってところで、画面が切り替わり、綾波レイ、覚醒。覚醒モードで引き戻し。しかも確変っていう。こういう流れってちょっとないよ。いうたらドラマティックでさえあるよ。もう隣のお兄ちゃんは俺の台見ながら息も絶えだえで、オシッコもらしてガタガタ震えてた。俺は平気だったんだけど。

そんなこんなで、もういい加減時間がなくなってきたのでそろそろ終わんねぇかなーと思ってたら、案の定そうはいかず、エヴァ出撃。あーもう、今度は第何使徒だよ、いい加減にしろよっつって見てたら、鈴原トウジの載ったエヴァ3号機(バルディエル)、見参。ゲンドウがそれはエヴァじゃなくて目標だっつってんのにシンジが友達を殺すなんてできないよっつってウダウダしてたら、カヲル君の4号機カットインで3号機にぶちかまし。あ、知らない人にはちょっと分かりづらいかな。でもいいや、これだけ知っといて。カヲル君はレアで、彼が出たらたいてい大当たり確定。それに加えてこの4号機リーチは確変が確定。もっと分かり易く言えば、パチンコ玉2箱分がもれなくもらえるっていうことです。どうでしょう? もう隣見られませんでした。たぶん今俺がガッツポーズでもしようもんなら、お兄ちゃん失神するんじゃないかと思って。

結局17時は少し過ぎてしまいました。時間にシビアな俺がそういうふうになるって滅多にないんですけど、まあ、17時過ぎっていうふうにお互い言ってたので、約束を反故にしたわけじゃないからいいか。店はもうすっかり空いていて、待たずにすぐ取り掛かってくれた。

-------- ここから本題 ---------

髪を切ってもらっているときは何とも思いませんでした。そのあとです。シャンプーしてくれるじゃないですか。で、なんていうか、大人の男が行く散髪屋さんって、うつぶせでシャンプーするでしょう、女性はあまり知ってる人いないかもですけど。でもいわゆる美容室って、仰向けでシャンプーするでしょう。椅子を倒して、顔に白い布を掛けて。なんかもうこのへんで、昨日観た映画「おくりびと」がチラチラ思い浮かんできちゃってさ。しかも俺のシャンプーを担当した人(最初に受付してくれた女性)がすごい丁寧で、かといって力が弱いってことじゃなくて、ものすごく気持ちいいんだ。なんかね、言葉で表しちゃうとまったくすごみがなくなっちゃうんだけどね。前の晩に「おくりびと」観たせいもあるのかもしれないけど、自分は寝てるだけなわけじゃん、ご遺体みたいに。それで、その道のプロに身を委ねて安らかな気持ちになる。美容師さんが納棺師さんで、俺が遺体で、・・・あーなんか全然言葉にできないわ。俺βακαなの? 顔を剃ってもらうのはどっちもまったく一緒だけど。まあこのへんは映画観てもらうしかないな。

この映画に関して言いたいことはいろいろあるよ。感想もそれなりにあるし、いろんな視座からの(いつもの)へそ曲がり解釈もある。たとえば主題ひとつとっても、生と死はもちろん、職業とは(職人であることの矜恃とは)、親子の和解、現代の滅びゆく田舎町、・・・などなど、捉えようによっていくらでも出てくる。そういうのを求めるなら、人が集まる掲示板みたいなところに行かれた方がいいかと思います。ついでにそこにあなたの感想も書き込んでくればなおのこといいと思います。この作品はあくまで静謐さを保ちつつ、かつ沢山の要素を盛り込んである味わい深い映画になってます。観る人それぞれが別々の、自分じぶんの個人的な何かしらをそこに認めることができるでしょう。スリルもショックもサスペンスもないけれど、そのぶん、全体にまんべんなく散らばる様々な主題を拾っていける「おいしい映画」じゃないでしょうか。

前置きの雑談の分量が多すぎてごめんなさい。あれほとんど、妄想を膨らませただけですから真に受けないでください。よろしく。

2009年3月17日


式波・アスカ・ラングレー大尉って・・・。大尉ってw

命中確率99.9999%って・・・。

とりあえず序破急(プラスもう1章あるんだっけ?)そろってからああだこうだ、ああでもないこうでもない、始めます。だいぶ手が加えられて、新しいものになるように思うので。「序」は観ましたけど。

このエントリの1つ前が宇多田ヒカルだったのはここだけの話にしてください。よろしく。



#追記
「ヱヴァンゲリヲン」ですから。
最悪、「エヴァンゲリオン」は許しますが、「エバンゲリオン」だけはやめてください。少なくとも俺の目の黒いうちはそれだけ、よろしくお願いします。重ねがさね、よろしくお願いします。
エバンってロボットなのに気持ち悪いよなw」とか絶対言わないでください。「気持ち悪い」は否定しません。旧劇場版だとけっこう印象的で深い意味を持つマニアックなセリフとして(エヴァに対してではありませんが)出てくるので、違う意味でしみじみと味わえる形容詞なのでいいです、許します。でもそこじゃありません。
  • 「エバン」
  • 「ロボット」
これらの文言は、一度でも(アニメでも映画でも)観た方からは発せられないはずです。偏見だけが為せる業です。おそろしいです。

なんか、口調がきつくなりましたが、その人のためです、たぶん。現代日本の主要文化のひとつであるアニメの、最も有名なタイトルのひとつである(若い世代だけじゃないし、ましてやオタクだけなんてことは!だってパチンコ・パチスロであれだけ新バージョン出してるんだから、お年寄も知ってる)これに関する知識をまったく持たずにいるなんて、インド人が「オレ、カレー無理っす」って言ってるようなもんです。うん、言いすぎた。でも、まあちょっと上手いこと言ったか。人生で一度もカレー食べずとも生きてはいけるからね。その代わり、普通にカレー食べるよっていう人からしたら、「え、お前生まれてから一回もカレー食ったことねえの?」ってなるじゃん、そんな感じ。まあいいや。

なんか説教してるみたいでインド人もゲッソリですが、何かあってからじゃ遅いんで。知らなかった、じゃ済まされないこともあるんで。ごめん、で解決したら警察いらないんで。誰も守ってくれないんで。これ以上は俺も言わないから。お口チャックマンだから。

This Is The One

宇多田ヒカルのUtada名義での2ndアルバム。

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』の記事を書きながらこれ聴いてて、ふと、越境について思った。宇多田ヒカルはNY出身で主に日本で活動している。カズオ・イシグロは日本生まれのイギリス人。まあいいや。

#追記
いきなり思い出したんだけど、宇多田ヒカルの1stアルバム『First Love』に"Never Let Go"って曲があったわ。たまたまかも、ですけど。

わたしを離さないで(ネタバレ注意)

カズオ・イシグロの長編。(原題:"NEVER LET ME GO")

優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。(Amazonより)

泣くとか泣かないとか、
そんな程度の心の震えでは
収まらない。(本書帯より)

いきなりネタバレから入りますね。なので、未読でかつこれから読む、かつ予備知識なしがいいという方はここからは読まないでください。上の書影画像をクリックするとAmazon.co.jpの当該ページが開きますので(文庫版です)、お求めになり一読し、またいつかこのブログに戻ってきてください。まあ、後で述べますが、思うに、本書はネタバレの有無で作品の面白さ、感動、その他もろもろの価値がぼやけてしまうようなものではないので、別に構わないと俺は思ったりするのですが、そのへんは人それぞれなので^^;

---------- 再開 -----------

「提供者」はドナー、つまり臓器提供者と言った方がわかりやすいでしょう。しかもこの作品の中の「提供者」は「提供者」になるために産まれた、早い話がクローン人間です。語り手のキャシー・Hも例外ではありません。ヘールシャムはそういった子供たちを育てる施設です。

ヘールシャムの保護官たちは(他の同様の施設と違い)あくまで人道的に彼らを教育します。そしてそのとおり彼らは絵画、文学、音楽といった、普通の人間が学ぶことを同じように学んで成長していきます。そうすることで「提供者」が人間以下の存在であると考える世間に抗う意味もあります。実はこれがけっこうこの話の肝だと思ってしまう読者が多いのではないかと思ったりします。この「謎」はストーリーの展開に合わせてだんだんと明かされていくので、これをミステリととる読者もいて当然かと。もっと言えば、SFのくくりに入れちゃう人もいるかもしれない、あるいは「SFミステリ」とか・・・。まあいいや、そのへんのくくり方は読者がそれぞれ勝手に決め付ければいいし、そうしなくてもいいし。ただ、書店は棚に並べるときに意識してジャンル分けしなきゃいけないのかなあと思うと、なんだかもったいない。

ジャンルはどうでもいいや、主題に話を戻すと、やっぱり倫理ってことになるのかな。クローンだろうがなんだろうがみんな人間だろうが!っていう。

本書はその全てで(つまり最初から最後まで)真相を丁寧に描くことに徹底しているし、人によっては真相に結構な衝撃を受けるかもしれない。でも、俺はちょっと別の見方をした。それは俺がミステリ慣れあるいはSF慣れしていて真相自体にはたいした驚きを持たなかったことからきているのかもしれない。深読みというか、視点変更というか、まあ、正直、ひねくれた読み方をしたわけです。w

というのは、もうクローン云々抜きにして(おいおい)、一人の女性の人生として読んだ、とでも言おうか。それはあまりにもリアル。特に印象に残っているのは、少女時代の学校生活。当然、クラスメイト(みんな提供者です、一応)がいるわけで。そうなると、いじめみたいな光景が書かれることになるよね。(ex. 噂話、自分たちだけの合図、目配せ、仲間はずれ、嫉妬、位相の優劣、あからさまな/陰湿な嫌がらせ、自己防衛、・・・etc.)これ省いてもストーリー的に大きな破綻はないと思う。でも、人間の、特に思春期の、しかも女の子の生態を書こうと思ったら、これなしだと嘘になるね。思春期って綺麗事じゃないから。まったくないから。それでも、友情とか恋といった美しい光景もあることも事実で、人が成長して大人になって振り返るときに思い出すほとんどはそっち。嫌な思い出や過去はたいていみんな封印するものです。だからこそそれらをリアルに丁寧に描くことは必要だとも言えるかもしれない。

そういう良かったり悪かったりの一つひとつのエピソードの積み重ねを、人は人生と呼ぶ。

2009年3月9日

TKGの奇跡

TKGを食べよう、と思った。(TKG=Tamago Kake Gohan)

碗に飯を盛り、卵をひとつ冷蔵庫から取り出して、碗のふちでひびを入れた。本当は片手でパカッといけたらスマートなんだけど、TKGのアマチュアである俺は(情けないことに)両手で割った。

そして、白飯の上に音も無く落ちたそれを見て、俺はびっくりした。















双子キタ――(゚∀゚)――!!

興奮。普段からTKGを召し上がっている方にしてみれば何でもないことなのかもしれないけど、さっきも申し上げたとおりに俺はTKGアマ。たまにしかいただく事の無い(たまごだけにwやかましいわw)TKGでこれはテンション上がらざるをえない。持ち腐れのデジカメを出動させざるをえない。

ホントに小躍りしたわ。ジャグラーでボーナス終了後1ゲーム目でGOGOランプがペカったくらい。まあいいや、そんな感じ。わかるかな?わかんねぇだろうなー。

フ━━━( ´_ゝ`)━━━ン!!

ぼくと1ルピーの神様




ヴィカス・スワラップ著、って言っても知らないよな。原題『Q&A』って言っても、やっぱピンとこないと思う。

じゃあ、「スラムドッグ$ミリオネア」ならいかがでしょう?外国語映画賞でオスカーを受賞した「おくりびと」のフィーバーのおかげで、日本ではあまり話題にならなかった(気がする)けど、アカデミー賞8部門受賞した映画です。その原作がこの『ぼくと1ルピーの神様』です。

クイズ番組でみごと全問正解し、史上最高額の賞金を勝ちとった少年ラム。警察は、孤児で教養のない少年が難題に答えられるはずがないと、不正の容疑で逮捕する。しかし奇蹟には理由があった――

殺人、強奪、幼児虐待・・・・インドの貧しい生活のなかで、少年が死と隣りあわせで目にしてきたもの。

それは、偶然にもクイズの答えであり、他に選びようのなかった、たった一つの人生の答えだった。

「クイズ番組」っていうのはあのミリオネア。日本ではみのもんたの司会で放送されていた、あれですね。賞金が正解するにつれてどんどん膨れ上がっていく、夢のような、世界中で人気を博す番組。たしか新庄が挑戦したときにエンピツ転がして1千万獲って、それ見て、ああ、やっぱりすげーやつはすげーな根本的に、なんて思ったわ。

この物語はプロローグ、第1-12章、エピローグと、14に分かれています。プロローグではいきなり主人公が逮捕されるところが書かれていて、以降、番組での設問(全12問ある)と、なぜ少年が難題に答えられたのかが1セットになって展開していきます。その一つひとつのエピソードが、少年の人生を語る。ほとんどの話が切実で、読んでて目から汗かいたわ。読んだ人にだけわかるようなこと書くと、冥王星(プルート)の話。太陽系の惑星の個数さえ知らない少年が、なぜ「太陽系で一番小さな惑星」の名前を知っていたか?そこにドラマがあるんす。

日本では来月(2009.4)公開らしい。映画は家で観る俺ですけど、これはもしかしたら観に行ってしまうかもしれない。「トレイン・スポッティング」「普通じゃない」のダニー・ボイル監督ってのがなんとなく魅力あるし、トレイラーに使われてた音楽もイイと思った。

問題. さて、あなたはどうしますか?

a. 原作を読んで映画も観る
b. 原作だけ読んでみる
c. 映画だけ観る
d. どっちにも手を出さない

・・・ファイナル・アンサー?





あとここから余談だけど、これ連ドラにしてもイケるんじゃないかと思いました。1クールで。1章/1話って感じで。かなり観たい。配役は日本人でもまあギリ許せるかな。あ、もちろん、司会はみのさんでw。F.A.

本当の戦争の話をしよう

ヴェトナム戦争に行った著者、ティム・オブライエンの「本当の」戦争の話。

「本当の」と、わざわざカッコを付けて書いたのには理由がある。たとえば、「訳者あとがき」で村上春樹が述べているように、「人は誰もが自分の中に自分の戦争を抱えている」という意味であるし、それはある人からすれば事実、現実、真実、んー、なんでもいいけど、リアルなことではない。まったくない。でも本人がそれを感じる以上、あるいは戦争を抱えている以上、それは事実であり、現実であり、真実であり、リアルなんですね。まず、そういう前提を持って読み始めるといいかもしれない。まあ、読みながら掴めればベストなのかもしれないけど。

ここのところ、あまりまとめて読書をする時間がとれなかったので、これを読むのに1週間かかった。でもそのぶん、読んでる時間は濃いものになったような気がする。1冊の本にポスト・イットを10枚以上貼り付けたのは、だいぶ久しぶりだったから。