2010年5月25日

1Q84: BOOK3(ネタバレ注意)

※BOOK3は1記事で済ませます!
※よって、内容はフィンフィン飛びます、もしここに秩序と呼べる何かがあるとすれば、引用がページ順になっているということぐらいです。



発売日に届いて次の日には読み終えました。

やはり作者も言ってたように「やたら長い」と思いました。『海辺のカフカ』(のハードカバーのほう)みたいに薄い紙でぎっちりっていうわけじゃなかったんですが、読んでいてしんどくなる場面が多々あったりしたからです。いちばんしんどかったのはエネーチケーの人のノックです(笑)。

ではポスト・イットの貼ってあるところを、頭からいきます。

願いましては・・・



P.2, L1
第1章 牛河 意識の遠い縁を蹴るもの 11
目次からで恐縮です(笑)。だって、「えっ!牛河の章?!うひょー」って思っちゃったんですからしょうがないじゃないですか。思いますよねえ。

P.2, L.2
第2章 青豆 ひとりぼっちではあるけれど/孤独ではない 34
これまた目次からで恐縮です(笑)。だって、「おおっ!青豆生きていたのね!!」って思っちゃったんだからしょうがないじゃないですか。思いますよねえ。

P.7
第31章 天吾と青豆 サヤの中に収まる豆のように 582
またまたまた目次からで恐縮至極です(笑)。これには、まだ本編にも入っていないうちから興奮しました。

・・・んー、こんなペースで書いてたら日が暮れちゃうな。ここからは手短にいきます、なるたけ。


P.37
青豆は拳銃の引き金を引かなかった。
チョムゲブログ: 1Q84: 青豆は死んだのかを参照されたし。


P.44
「バットはいろんなことに使える」と青豆は言う。
「バット」でぱっと、『ねじまき鳥クロニクル』が浮かんだ。『ねじまき―』の主人公オカダトオルにとっても、バットって大事な要素だったから。

しかも、青豆にしてもトオルにしても、これからしばらくひとりになりますって時にバットを携えている。青豆はとある建物の一室で、トオルは井戸の底で。トオルが井戸(イド、id、Es=無意識)の底へと降りたのち、大きな水脈へ繋がり、結果、壁を抜けたことを考え併せて、お、青豆もこっから勝負どきなのかしらと思った。(あるいはただ単に、元ソフトボール選手だったからってだけかも・・・w)


P.52
大事なのは文章を声にすることであって、内容ではない。

チョムゲブログ: 1Q84: ディスレクシア、口承文学
チョムゲブログ: 1Q84: 翻訳されるとしたらあれはどうなる?
参照されたし。


P.64
「さっきまたカラスがやってきた」とふかえりは言った。「おおきなカラス」
もち、『海辺のカフカ』の「カラスと呼ばれる少年」が浮かんで、そのときはそれだけだったんだけど、このBOOK3を読み進めていくうちに、ちょいちょいカラスが出てきて、これってもしかしたら重要?って思って。自信はないけど。


P.107
あのつらい時期は、ほんとうにそんなにもつらいものだったのだろうか? あのころ、私たちには若さがあり、激しい希望に満ちていた。あの長く続いた苦難の日々こそ、私たちに固い団結をもたらしてくれたのだ。たとえ別の星に移されても、私たちはすぐにお互いを仲間として認めあえるに違いないほどに。
これは、ただ好きだと思っただけ。アイザック・ディネーセン『アフリカの日々』からの引用の引用で恐縮です。でもちゃんと(?)、blockquoteタグも二重にしました(笑)。


P.144
長女である青豆雅美の経歴は十一歳の時点で終わっている。
たぶんだけど、ここまできてようやく青豆の下の名前が明らかになったね。雅美、かー。


P.159
青豆は言う。「一度、卵子の話をなさったことがあります。つばさちゃんのところに行った夕方に。女性は生まれながらに決まった数の卵子を持っているという話を」
川上未映子『乳と卵』を思い出した。チョムゲブログ: 乳と卵を2010/04/08に書いたばっかりだったからかな?


P.218
おそろしく突飛な考えだ。まったく理屈が通っていない。どれだけ言葉を尽くして説明しても、たぶん世界中の誰ひとり納得させられないだろう。しかし私が妊娠すること自体、理屈の通らない話なのだ。そしてなんといってもここは1Q84年だ。何が起こってもおかしくない世界だ。
(注: 下線は原文では傍点)
天吾との邂逅はまだだいぶ先っていうこの時点で、天吾の精液を自らの子宮に受け入れたと仮定した青豆のモノローグ。「処女懐胎」(←一発変換できなかった。しかも変態野郎の辞書みたいな変換されたw)がこの物語の中でそれなりに重要な要素だと巷で言われている気がするんだけど、んで、それはそれでインパクトあるからわかるっちゃあわかるんだけど、そこでびくりつしちゃってたんじゃあいかんと思うわけ。青豆が言うように、「天吾の精液を受け入れて妊娠した」ってことが大問題だと思うわけ。あとから"しかし私が妊娠すること自体、理屈の通らない話なのだ"って言ってるくらいだから、「天吾の~」っていう仮定はもっと理屈が通らないってことだもんね。そして、引用の最後の一文で、そういうこともアリよ、と読み手に告げてもいるわけです。


P.238
蜘蛛のように手脚の長い看護婦がまだ受付に座っていた。「玉木」というプラスチックの名札が胸についていた。
チョムゲブログ: 1Q84: 田村看護婦記事中で、田村看護婦はなんで田村看護婦なんだっていう、ちょっとアレめなことについて書きましたが、今回もまた、看護婦の名札が気になってしまいました。「玉木」。・・・ね? もうさ、大塚環(たまき)しかないわけですよ。今は亡き青豆の友人、環さんと、「猫の町」にいる玉木さん。・・・ね?


P.246, L17 - P.247, L2
(筆者注・割愛。お手元のBOOK3でご確認願います。)
これでもか!って感じ。村上春樹らしい、どころの騒ぎじゃない(笑)。このパラグラフの最後の一文のとおり、実に非の打ち所のない描写。(描写っていうか、写生。)わざとでしょこれ、って思った。


P.339
ここでいくつかの「もし」が我々の頭に浮かぶ。
ここは「もし~なら、」「もし~たら、」「~はずだ。」「~はずだ。」と、タラレバが並んで、読み手もウンウンそうなんだよ!なんていう運命のイタズラかしら!ってなるところなんだけど、ちょーっ、と待て。

出ました、「我々」!てっきり、『1Q84』はずっと三人称(あるいは登場人物のモノローグ=一人称単数)でいくのね、と思っていた俺はここでギョッとした。我々って!おそらく作者と読者を指しているであろうこの人称代名詞ですが、この使い方、『アフターダーク』を思い出しませんか? 俺は『アフターダーク』を読んだときに、一人称複数(We)で物語を語ってる部分を少し気持ち悪く感じた記憶があって、実験的なことに果敢に挑んだなあと思っていたんです。んで、『1Q84 BOOK1』、『1Q84 BOOK2』ではたしかこういうのなかったと思うので、『BOOK3』で、あ、きた、と。出たよ、と。


<しまいに>
チョムゲブログ: 1Q84: 気になる続編の可能性執筆の時点ではああいうふうに考えていましたが(執筆て。)、今思うのは、もうないな、ってことです。

チョムゲブログ: 1Q84: 青豆は死んだのか
(前略)なので、単純に「青豆は天吾のために死んだ、おしまい」って理解しちゃってもそれはそれでいい。でもやっぱり(読まれた方はほとんどだと思うけど)青豆には幸せになって欲しいやん、どうしたって。

これには続編の可能性の議論(http://chomge.blogspot.com/2009/06/1q84.html)とかも絡んでくるからほんとうに選択肢がひろがりんぐなんだよね。2冊完結だとしても微妙なところなんだから。大ラスで天吾が青豆をみつけようと決心するところも、「彼女がたとえ誰であろうと」ってとこまで言っちゃってるから、いや、青豆は青豆やん、って思わされたり、つくづくだよ。

(太字今回のチョムゲ)
の、期待通りの顛末だった。もはや、逆に裏切られた、ぐらいの期待通りさでしめられた。もう何も求めますまい。。

あ、そういえば今、「。(句点)」を2個打って思い出した。BOOK2のP.177にさ(初版ね)、句点ふたっつ連続でのっちゃってるんだよね。たぶん誤植だろうけどさ、このお話(二つの月が浮かぶ世界のお話)の中でこういうのあると、「。。」もイミシンに感じちゃうよね(笑)。



(あーーー!!!!!
今iTunesでネットラジオ(ソロピアノオンリーの局、
Solo Piano - SKY.FM)を聴きながらこれ書いてたら、
"Nowegian Wood(ノルウェイの森)"がな・が・れ・て・
キタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!
なんという偶然なのーーーー!!!!)

(クリックで多少拡大します)

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