2008年11月9日

物語という公式

昔から、すごい昔から数学を研究していた人たちがいて、その人たちが発見した公式とか定理っていうものを土台にして、新たな数学者たちが新たな発見していく。文学においてもそうなんじゃないかと。昔から物語っていうものがあって、遡れば神話とかそういう古い物語から、新たな作者たちが新たな物語を作っていく。

数学では、ややこしい計算を一つの美しい公式でびしっと片付けたりできる。これは発見だ。そしてそれを使って新たなややこしい問題が片付けられる公式ができる。ややこしければややこしいほど、そして公式が、証明が美しいほど人は感動したりするわけ。

文学では、人間の悩みとかを描いて、それを共通のものにすることによって、みんなで乗り越えていけるっていうか、教訓を得ることができる。

だから数学では解の公式を知らない人よりは解の公式を知っている人の方がより容易に次に取り組めるし、文学で言えば名作といわれる作品を知っている人の方が知っていない人よりも(容易とはいわないけど)楽しめる。これは文学が疑似体験であることから。より高次のものを目指すときには、土台を積み重ねていくことが重要ってこと。小学一年生に三角関数のグラフ書いてみろっていって書けますか?

それと、純文学と大衆文学っていう分け方がある。俺が思うに、純文学は数学で、大衆文学は理学なの。理学は数学の応用として、実生活に関わる事象を取り扱うみたいなとこあると思うから。

ちょっとごちゃごちゃ書いたので意味不明なところもあるかもしれないけど、そういうこと。たくさん本読んで疑似体験とか追体験していくと人生が豊かになりますよって。

だいぶ端折ったので、細かく書き直すかもしれません。

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