2009年12月21日

ショート・カッツ



これいつ買ったんだよ、と思って自分のブログを読み返してみたら、ありました、ありました(→チョムゲブログ: クラシックはじめました)。一年以上前かよ、と思いました。しかもそれがわかっちゃうってところで、まあなんて便利なんだろうと思いました。


率直な感想を言うと、最近の気分というかいつもふわふわと頭に浮かんでる(あるいははりついている)思いにとてもマッチしていたので、いろいろ腑に落ちた。別に、だからって何かが解決したとか、こころが洗われたとか、そういうんじゃないんだけどさ。いいタイミングだったなぁって、それだけ。



チョムゲブログ: めぐりあう時間たちしかり、チョムゲブログ: ナイト・オン・ザ・プラネットしかり、ほかの記事でもだけど、もうさんざん口を酸っぱくして言ってて、たぶん圭子なんかはミニにタコができちゃってて、またかよって言われるかもしれない話をさせてもらう。性懲りもなくはじめさせてもらう。

「別々のストーリーが同時進行してるっていうありよう」、これに尽きる。もう少し付け加えると、「別々のストーリーでありながら、どこかで関わりあっている」っていう。これじゃんねー、っていうかこれしかないじゃんねー。まあ、これは観客にしかわからないことになっているんだけど。



マグノリア」も、こういう感じだった。それでもって、両方とも三時間超っていうやたら長い映画なんだよな。この、長さっていうもんが、「本編○○○分」っていう表示そのものが既に意味を持っちゃってる気がする。(ちなみに、ジュリアン・ムーアは両方に出演している。言うたら「めぐりあう時間たち」にも出てる。なんなの彼女(笑)。)

出演者に関してもう少し言うと、「ショーシャンクの空に」のティム・ロビンスが警官役で、ひょっとするとアンディ・デュフレーンのその後かもしれねぇなとか思った。これは完全に別の話だからおかしいのはわかっちゃいるけど、まあ好きにさせてくれ。あとは逆に、フランシス・マクドーマンドが「ファーゴ」の中では身重の婦人警官役だったわけけど、それって、この「ショート・カッツ」の前にあった話だったかもしれないとか(笑)。


「ショート・カッツ」に話を戻すと、この映画は村上春樹『やがて哀しき外国語』(氏がプリンストンに住んでいたころのエッセイ)で読んで知って、それから気になってたの。(実はこれも、何で読んだのかを思い出すのにネットが役立ったw。)だから、DVD観終わったあと、ざっと読み返してみた。

『やがて哀しき外国語』(講談社文庫) P.204
そのようにひとびとはいろんなところですれ違い、それぞれの他人の話に意識的に、あるいは無意識的にかかわったり、あるいはかかわらなかったりする。ひとつの話ともうひとつの話、ひとりの人物ともうひとりの人物が、ひとつの町ともうひとつの町とが、そういった接合点のたすけによってかさなり、にゅるにゅると結びついていく。しかしそれにもかかわらず、ストーリーそのものはまったく説明的ではない。それらはただ単に物理的に結びついているというだけであって、その結びつきによって何かが具体的に語られたり、証明されたり、あるいは仄めかされたりするわけではない。
これwww俺が今言おうとしてることを十年以上前にwww

この文章の文言一字一句はさっき読み返すまですっぽり忘れてたけど、やっぱり刷り込んでいたというか、片すみに残っていたんだなー。



それと、この映画の「ショート・カッツ」というタイトルに関して。

同書 P.207
彼女(チョムゲ注: 原作者レイモンド・カーヴァーの未亡人)の説によればこの題には三つの意味がこめられていて、ひとつは「短い切り傷」、もうひとつは「近道」、最後の意味は文字どおり「映画の短いカット」だろうということだった。なるほど、意味深いといえば意味深いタイトルである。

へぇ、と思ったね。

際限なくなっちゃうので最後に、あとがきから引用。

同書 P.277
決して拗ねているわけじゃなく、「結局俺なんかいてもいなくても、どっちでもいいんだよな」と思う。考えて見ればこれは自明の理で、人間が一人増えたり減ったりしたくらいで世の中が混乱していたら、世の中がいくつあったって足りない。しかし日本で生活して、自分の役割のようなものに毎日忙しく追われていると、そういう自分の無用性のようなものについてじっくりと深く考え込んでいるような暇がないのも確かである。
「ショート・カッツ」についての章ではなく、あとがきにこういう風に書いてあったっていうのが不思議な気がする。



余談ですが、この映画を観てるさなかに電話がかかってきて、向こうが間違えましたごめんなさいっつって、俺もああどうもはいそうですかとか言った。(それでは失礼します、よろしく、とまではさすがに言わなかったけど(笑))これだって、たまたまに決まってるんだけどさ、もssssssっしかしたら、その女の人と俺、どっかで接点あったかあるいはこれからあるかもしれないんだよね。いや、無いんだろうけど、100パー否定はできないんだよね。

ここのところ毎年、暮れの時期にこういう映画を観てる、これは「たまたま」?? 必然? どっちでもいいか(笑)。

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