2009年12月22日

バック・トゥ・ザ・フューチャー



今日一日かけて、無印~Part3まで全部観なおしてみた。いうまでもなく傑作だったので、ストーリー自体を今さらどうこう言うのはちょっとにしといて、すこし感慨深く思ったところを。


クリストファー・ロイド演ずるドクがタイムマシン作っちゃったところ、まあこれがすべての発端なんだけど、そのドクが言うのよ。25年先に行きたいって。

おぉぉう・・・と思ったね。だってさ、1985年のこの映画の中の「現在」ってのが1985年だからさ、その25年後って2010年ってことじゃん。もうすぐなわけじゃん。てか、来年じゃん。もっと言うたら来週末じゃん、2010年(笑)

まあ、結局は無印では未来じゃなくて(1985年の)30年前の1955年にタイムスリップしちゃって、そこでマイケル・J・フォックス演ずるマーティが自分の両親をくっつけるっていうのが大筋なんだけど、ここでも、おぉぉう・・・があった。



1955年にタイムスリップしたマーティが喫茶店(でいいのかな?)にいるシーンで、皿洗いの黒人の店員が出てきて(マーティはこの店員がのちに市長になるのを知っている)、他の店員が「黒人が市長になったらおしまいだ」とかいうやりとり。要するに、未来のことは誰にもわからないもんだ、っていうエピソードのひとつだったんだと思う、製作当時は。でも今年(2009年)にさ、バラックさんがアメリカの大統領になったわけじゃん。そんで、それを知った上で観てる俺、っつうのがどうにもしみじみした。

それにはもうひとつあって、1955年のドクはマーティが30年後から来たことを信じなくて、証明しろって言うの。30年後から来たなら、1985年のアメリカ大統領を知ってるんだろ?って。だからマーティは真面目に「ロナルド・レーガンだ」って答える。(本当にレーガン大統領だったんだからしょうがないよね。)そしたらドクは「ハッ?!あの俳優がか?」ってなっちゃって(レーガンは元俳優)、っていうシーンがあって、これは1985年当時の人たちにでも(もちろん今の人たちにも)わかるエピソードなわけだけど、上で述べたとおり、それプラス、本当にもうすぐ2010年だとか本当に黒人系のアメリカ大統領が生まれたとか、そういうことひっくるめると、そりゃ、おぉぉう・・・・ってなるじゃん。

「俳優が大統領になってるって?はぁ?」って言ってた時代。85年目線で観てもこういうジョークみたいなエピソードだっつうのに、大統領どころか「黒人が市長になったらおしまいだよ!」って言ってた時代。おそらく85年当時のアメリカの人たちは、黒人「市長」はわかってたと思う。想像ついてたと思う。だからこそ、このエピソードが成り立つわけだし。でも、2009年に改めてそれを観ると、さらに深い感慨があるよね。



もう一個別の話すると、

「未来のことなんて知りたくない!」とドクが劇中でひたすら言っていたのは、印象的だったなあ。マーティはドクが撃たれて死ぬことを知っているから、それを教えたいんだけど、やめろーって言うの。ドクの生死にかかわることなんだよ、と言うと、「ならば余計に聞きたくない!」って。

俺ここでギリシャ神話のパンドラの箱を思い出しちゃってさ。

開けるな、って言われた箱を開けちゃって(ちょっと浦島太郎みたいねw)、そこからあらゆる災いが飛び出して、以来人間はいろんな災難を受けてるっていう話。

箱の中の「最後の何か」については諸説あって、まあメジャーなのは「希望」かなと思うんだけど、逆に「絶望」だったっていう説もある。(これ、どっちをとるかで話が違ってきちゃう。まあ詳しくは→パンドラ)この「絶望」説は、最後のひとつが「絶望」だったっていうよりは、「予兆」「予知(能力)」だったっていうことなんだと。へぇ、と思ったね。将来のことがわかるってことがいちばんの不幸であるっていうふうにとれるからね。

絶望説は、あくまで諸説ある中での一説にすぎないし、しかもその受け取り方もたくさんあって、今のはその中のひとつにすぎない。でも、もともと同じ話なのにここまでバリエーションがあるっていう、しかも「希望」と「絶望」とか、まるで対極なんじゃねぇのかと思うような枝分かれをしちゃってるっていう。これってさー、言うたら同じことなのかもしれないよね。「希望」をひっくり返してうしろから見れば「絶望」、逆もまたしかりで。たとえば予知能力にしたってさ(ここで無理やりバック・トゥ・ザ・フューチャーに絡めますよーw)、それを羨ましいと思う人もいれば、サイアクだと思う人もいるってこと。



とにかくまー、映画は面白かったです。

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