2009年4月24日

噛みしめた日

処方箋を出して薬局の外に出たら、あまりにも天気が良くてあったかくて、でも手放しで喜べない、複雑な気持ちがした。

3月の末からだんだんと陽気の良い日が増えてきて、その度に、わあ、なんつうことだよ、幸せじゃねー? 春だよ、春。冬が終わったんだ、としみじみ思い、桜が咲いてより一層強く思った。花びらが散って全体が緑の生命力あふれる葉に覆われ、親鳥の愛みたいに限りなく降り注ぐ陽光をその葉がひな鳥みたいに貪欲に欲して、そしてそれを裏切られずに与えられている、そういう「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」的な幸せの手ごたえのある感触。平和だな。これからもずっとこれが続けば、続くという保証があれば、いうことないし、もっと欲を言えば、これまでもこうだったら良かったのに、と思った。でも考えてみたら、こういう春の穏やかな日差しに恵まれたいかにも平和な日なんて、昔から何度も、何度も何度もあったわけだし、たぶん俺が感じたようなことも誰かが感じた可能性が高い。むしろそうじゃないはずが無い。

それでも、人類の歴史って、お世辞にも平和だったとは言えない。史実を学ぶという言葉が表すほとんどの事柄は、人と人とが争い殺しあう戦争について学ぶということだから。学校の歴史の授業で争いごとについては扱わないことにしましょうってなったら、たぶんそこで学ぶことはほとんどないんではないかな。そして驚くべきことに、戦争は教科書や小説の文章といった過去や未来だけのものじゃないのだ。これは日本人だから驚くだけであって、他の国や文化で生まれて育った人たちは当たり前だと思ってるかもしれない。戦争が身の周りで起こってて当たり前だって。それは戦時中の日本人もそうだったんだろう。

平和だ、としみじみ思うと同時に、これがいつ失われてしまうか誰にも分からない上に、そうなる可能性を想定してる若い日本人はそういないだろうな、と思った。緑の葉っぱをじっと眺めている、その1秒後に至近距離に爆弾が落とされちゃうとか、このブログを読んでいるのはそんなこと考えもしなかったって人がおそらくほとんどだと思う。でもそれって、2001年の9月11日のあの日ワールドトレードセンターでパソコンをカタカタやってた人たちもそうだろうし、1995年3月20日のあの日営団地下鉄でウトウトしてた人たちだってそうだ。職場のビルにボーイングが突っ込んでくる(しかも2機も!)なんて誰が思ってただろう? いつもの月曜日の朝の気だるい通勤電車のラッシュの中で化学兵器が使われちゃうなんて誰が思ってただろう? 誰もそんなこと思ってなかった!想像もしてなかった!遠い国ではそういうことが起こるかもしれないとは思ってたかもしれない。けど自分がそれに巻き込まれるなんて。

そんなわけで、幸せとしか形容できない春の日に、今ここにある(一見堅固だけど実はすごくもろい)平和ってものを感じたね。

イマイチピンと来ない方はわかりやすいのがあるのでどうぞ。

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