2009年1月23日

浅倉南の憂鬱、あるいは同一性、スワンプマン

ザ・たっちっていう双子のお笑いコンビいるじゃん。たくやとかずや。

持ちネタの一つに、熊と戦うやつあるじゃん。

どっちか(どっちでもいいんだけど)(じゃあ仮に立ち位置左のやつ)が熊になって、もう一人を襲う。両者が絡み合ってぐるぐる回って、一息ついて再び戦闘体勢に入ったとき、二人とも熊になっちゃって、「どっちだよ!」とツッコミ、っていうネタ。

二人とも同じ服着て同じ靴履いて同じ髪型で顔まで一緒だから、まあ、そのへんがおもしろいんだけど、あれ見てて俺は「あれっ?」って思ったの。

たぶん普通の人はそのネタ見たあと、たくやとかずやがどっちがどっちだかわかんなくなってると思う。たぶん元の立ち位置に戻ったんじゃねーの、とか思ってると思う。でも確実にはわからないよね。

で、俺が思ったのは、「こいつら(たっち)でさえ、どっちがどっちだかわからなくなることもなくはなくね?」ってこと。普通の人の直観からすると、「自分は自分、だから(いくら似てても)自分と他人は間違えるわけねーだろw」って思うと思うんだ。でも、もし全身まるまるコピーみたいな双子だとしたらどうなんの?まあたっちの場合、厳密に調べたら、ホクロがどっちについてるとか、そういう違いはあるけど。そういうの抜きで、ガチコピの双子だったら、「ハイ!今、この瞬間、あんたとあんた入れ換わったよ!」って言われたら、何も言い返せなくね?

もう少し話を突っ込ませてもらうと、たとえば一人の女性がたくやと付き合って婚約したとする。1年間付き合って、同棲とかもして、さあ明日は結婚式ですっていう日に、たくやとかずやがたくらんで入れ換わって、結婚式当日を迎えたとき、その女性は気づくだろうか?もっと言えば、その女性がたくやと結婚して生んだ赤ちゃんと、かずやと結婚して生んだ赤ちゃんってのは、まったく別人なのか?それとも(DNA配列が結果的に同じなのだから)結局同じ人間になるのか?

まあ、このたとえ話だと、一人の女性に二人の男性が同時に一人の胎児を孕ませることが必要になるから、実際のところ、確かめようがない。

しかし!

女性が二人だったらどうだろうか!

俺は、この無茶な前提を可能にする一つの例を持っている。

マナカナである。

マナカナもほとんどガチコピ人間だ。先ほどの例に倣って、そう仮定すれば、これは頭の中だけの問題ではなくなる。

たくやとマナ、かずやとカナ、まあ組み合わせはどっちでもいいんだけどこの際(^^;)、そういうカップルが結婚して、子どもを授かったとき、その子どもって・・・(似てるの、似てないの、もしくはDNA鑑定したらどんな結果出るの!)・・・。

まあ、マナカナによると、ザ・たっちは好みのタイプではないらしいので実現しそうにない(そっちの意味でかいw)けどね。興味はあるわな。



・・・意外と双子がツーペアできちゃったりして。

参考リンク
ある男が沼にハイキングに出かける。この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばに落ちる。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥に化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一である。沼を後にしたスワンプマンは、スタスタと街に帰っていく。そして死んだ男が住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

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