2009年1月13日

アヒルと鴨のコインロッカー

引っ越してきたアパートで出会ったのは、悪魔めいた印象の長身の青年。初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。彼の標的は―たった一冊の広辞苑!?そんなおかしな話に乗る気などなかったのに、なぜか僕は決行の夜、モデルガンを手に書店の裏口に立ってしまったのだ!注目の気鋭が放つ清冽な傑作。第25回吉川英治文学新人賞受賞作。(Amazonより)


たった一冊の広辞苑を奪うために本屋を襲撃する、おかしな話、その時点でピンと来たね俺は。村上春樹の短編「パン屋襲撃」(『夢で会いましょう』(講談社文庫)収録)「パン屋再襲撃」が浮かんだ。しかもこの『アヒルと―』の著者・伊坂幸太郎は、いわゆる「春樹チルドレン」と呼ばれる作家の筆頭らしいのでなおさらだ。

読んでみると、なるほど、村上春樹にやられたちょっと成績のいい高校生が模倣したみたいな比喩表現があちらこちらに。読み始めてすぐ拒否反応が出そうになったけど、我慢して後半に突入すると、さきのようなイヤさはなくなり、むしろ読みやすい。各章末が2章1組で対になってるのも、まあ著者の遊び心なのかなと思えた。

表向きはミステリー、あるいは青春小説とも読めるかもしれない。本屋大賞をとった経緯からすると、やっぱりストーリー構成とかに重きを置いて「読みやすさ」を評価したのかもしれない。多くの読者が誤解している(「理解は誤解の総体」とも言われるが)。

しかし、これは単なるミステリーでも青春小説でもない。

タイトル『アヒルと鴨のコインロッカー』の「アヒル」と「鴨」は
P.186
よく似ている動物にも思えるけど、実際には、ぜんぜん違う。
これはブータン人と日本人のメタファー(隠喩)である。ブータン人留学生である(キンレィ・)ドルジは見た目は日本人とまったく区別がつかない。たどたどしい日本語を話したときにはじめて周囲の日本人は「あ、こいつガイジンだ」と気づく。まあその辺が話の肝なんだけど。

ブータンという国の特徴は日本と比べて、
  • 宗教(仏教)への信仰心が強く、生まれ変わり(輪廻)の思想などがある
  • 性に関してかなりオープンである
などが挙げられる。

この小説の主人公は椎名という大学生ということになっているが、この物語は椎名の物語ではない。
P.270
「河崎君と、ブータン人のドルジ、それからもう一人、女の子で、琴美ちゃんという子。彼ら三人には三人の物語があって、その終わりに君が巻き込まれた」
この「三人の物語」、つまり作中「二年前」と表記されているのが本筋で、それに付随するかたちで現在(二年後)が書かれている。カットバック形式をとっていること、そのカットバックがだんだん収斂していき最終的に全容が明らかになること、ミスリードを用いたちょっとしたどんでん返し、などからミステリーに分類されてしまっているのだと思うけど、そして「読みやすいミステリー」と受け取って満足してる読者が多いんだけど、これは非常にもったいない。

この小説における、素朴で敬虔な仏教徒、ブータン人留学生ドルジの二年間の変容を、そのまま「日本の近現代の変容」と読む、と言えばわかりやすいかもしれない。もっと深いテーマが浮かび上がるかもしれないよ。

単純に「ミステリー」として片付けてしまった方は、その辺をふまえて再読してみてください。



ここから余談なんだけど、「ドルジ」っていう名前が出たときに真っ先に朝青龍(本名:ドルゴルスレン・ダグワドルジ)が浮かんじゃって、作中では(おそらく)イケメンなのに、どうしてもあの顔しか想像できなかった。『アヒルと―』は映画化もされているので見ようかなと思っている。ただ、映画版では、原作のミスリードをどう使う(あるいは使わない)のか、すると配役はどうするのか(ちょっと調べたところ、「あの」二人は二人が演じるらしい)など、問題があるかと。問題っていうか、映画版はそれで一つの作品ですからって考えたらいいけど、原作読んじゃうとやっぱり比較しちゃうからねー。そしてたいていの映像化は(一部成功した例外を除いて)失敗するのが常だからねー。まあ、作中の大事な要素であるボブ・ディランを実際に聴きながら楽しめるところだけは評価できるのかな。。。



Amazonレビュー(DVDのほう)が絶賛の嵐でワロタw褒めすぎですからwww
そんなに良いのか((o(*^^*)o))

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