2009年3月28日

ナイチンゲールの沈黙


チーム・バチスタの栄光』がそれなりに面白かったので、田口・白鳥シリーズ第2弾のこの『ナイチンゲールの沈黙』上下と、第3弾『ジェネラル・ルージュの凱旋』上下を買っておいたものの、例によって積ん読になっていた。

後回しあとまわしにしていたんだけど、『ジェネラル―』が映画化されたっていうのもあって、まあ頃合いかなあと読み始めた。疑問を一つ持って。それは、『ナイチンゲールの沈黙』はなぜ映像化をすっ飛ばされたのか?ということ。これは何かあるな、と。

読了後、悪癖に則りAmazonのレビューを覗いてみた。予想はしてはいたけど、ボロクソだったよね。バチスタで期待して読んだのに残念です、とか、はっきり言ってSFです、とか。俺もこれだけを読んだ直後だったらそういうのに近い感想になってたかもしれない。でも俺はラッキーだった。積ん読が功を奏し、がっついて読むことによる落胆を回避できたから。

というのは、俺は『ナイチンゲール―』を読了後ただちに『ジェネラル―』に取り掛かれたからだ。何を言ってるのかわからねーと思うが、これらの2作品は「続編」とかいうような関係じゃないのだ。今『ジェネラル―』を読み始めたばかりなので、あんまり深く突っ込めないのが口惜しいところだけど、出だし数章読んだだけで「なるほど!」と合点したよね。発表された時期には間があったから、逐一追いかけていたファンなんかは『ジェネラル―』を読み始めたときにデジャ・ヴュを味わったことと思う。あれ?これ、どこかで・・・?ってね。続けざまに読み始めた俺はデジャ・ヴュどころじゃなかった。『ジェネラル―』の冒頭の一言一句が『ナイチンゲール―』とビタッとかぶってるんだもんな。それもそのはずで、同じ大学病院を舞台にしていることは言わずもがな、時系列が一緒なんだ。当然、救急で運ばれてくるクランケも、救急隊員と受け入れ病院との応対も、ICUでの処置も、同じになる。

別の視点からの書き方でも問題はないんだろうけど、俺はまるでコピーアンドペーストしたようにぴったり同じ書き方に、書き手の意図を感じた。病院っていうのは、常に同時多発的にいろいろなことが起こり続けている場所なんだ、っていう。一つの出来事だけしか起こってないって考えるほうがむしろ不自然だ。リア医の海堂尊だからこそ書ける物語じゃないかな、とも思う。

だから、『ナイチンゲール―』が消化不良に終わったそのすぐあとに『ジェネラル―』を読み始められた俺はラッキー以外の何者でもない。この2作品は対になってる。間を空けずに読み始められて本当によかった。

まだ『ジェネラル―』は読み始めたばかりなので、おいおい書くと思います。ただ、『ナイチンゲール―』だけ読んで落胆してしまって、「海堂尊は所詮『バチスタ』の一発屋だった」と切り捨てたとしたらもったいなさすぎるかな、と思ったので書きました。

『ナイチンゲール―』が映像化をすっ飛ばされたのは、なんだかうっすらわかる気がする。ちょっと難しいかも。ヴィジュアル化が難しいのもあるっちゃあるけど、それはできないこたぁない。むしろ、凄惨な事件現場や事件そのものを果たして映倫が許すだろうか。つまんないとこで茶々入れられて貧相なものが出来上がるくらいならハナっから作らねぇよ!ってことじゃないかしら。考えすぎでしょうか。

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